ニホンオオカミ像が見守る地。
ニホンオオカミ像の特徴
明治38年に捕獲されたニホンオオカミの記録地、切ない雰囲気があります。
ニホンオオカミの像がある場所は、歴史的な重要性を秘めています。
自然に囲まれた環境で、静かに思いを馳せることができる憧れのスポットです。
最後に捕獲された地に像があります。もっと山深くて静かな場所かと思いましたがすぐ傍には役場があり面して像のある道路も交通量が多いです。
明治38年(1905年)、この地で捕えられたニホンオオカミが最後の捕獲の記録。記録に残っていない事例があったとしても、明治後期にはほぼ絶滅したことがわかります。天皇陛下行幸跡の碑もありました。昭和天皇が戦後巡幸で訪れられた地でもあるようです。駐車場の案内板が目印です。
この場所に、興味がわいてから数年たってやっと行けました。紀伊半島を数日掛けて、回った最後に寄ったためこの、大自然の中、まだどこかて、生息していて欲しくかんじました。(最後の生息確認から約120年経ちますが…)
同じ奈良県吉野郡大淀町には、これまた吉野郡下北山村で捕獲されたニホンオオカミ頭骨が2023年、文化財指定を受けました。
過度な期待は禁物。県道に面した場所にオオカミの彫刻があるのみです。一番最後のニホンオオカミとのことですが、余程思い入れがない限り「あぁ、うん…」となるだけでしょう。ただ、この像の為だけに駐車場まであるのはビックリ。それに彫刻自体はかなり立派なので、近くまで来たのならば立ち寄っても損はしないと思います。
ニホンオオカミが最後に捕獲確認されたのがこの奈良県吉野郡東吉野村でこの鷲家口。明治38年の事。それに因みニホンオオカミの銅像と記念碑が立つ。山に向かって吠える狼の表情に、最後の生き残りとなったこの狼の悲哀が見え、胸を打つ。因みに鷲家口は明治維新の魁天誅組の終焉の地。これも何かの因果、そんな事を思うとまた感慨深い。
記録に残る最後のニホンオオカミ捕獲地が東吉野でここに像が建てられています。それ以外は特に目立ったものはありません。実物大かはわかりませんが像は若い雄狼で意外と小さめ、柴犬ぐらいです。捕獲されたオオカミはアメリカ人動物学者に売られ、現在はロンドンの博物館に毛皮と頭骨が標本として保管されています。気紛れで立ち寄ってみましたが、思いの外色々考えさせられる場所でした。
北海道の某カブ旅番組で立ち寄った場所だったので気になってて、やっと訪問。これだけ自然豊かでも絶滅してしまったんだと感じた。見どころってそんなに無いけど、すぐ下に流れる川と、対岸の山の風景が印象的で、しばらくはボーーーーっとしてた。
偶々通りかかった時に見つけたニホンオオカミの看板。駐車スペースは車2台程でしょうか。絶滅してしまったニホンオオカミが最後までここで存在していたのかと思うとちょっと切なくなりました。
名前 |
ニホンオオカミ像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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作者の久保田氏が夢に出てきたニホンオオカミを創造し、作品にしたニホンオオカミ🐺像の銅像。鷲家口のニホンオオカミを創造したのかは不明、あくまでもイメージによる作品で久保田氏も実際ニホンオオカミは見たことがないと語っている。鷲家口で猟師から売買されたニホンオオカミは英国に持ち帰えられ、大英博物館にある剥製がそれにあたる。最後のニホンオオカミであったかは不明で、紀伊半島は広く昭和初期まで目撃談が残る。現在でも目撃談や遠吠えを聞いた!等の話は多く、中でも「ニホンオオカミを探す会」代表の八木博氏が実際撮影した「秩父野犬=奥武蔵有馬谷支流逆川林道で撮影」はメディアが取り上げ話題となったが、未だに生体の発見捕獲は成されていない。また、表記の鷲家口(小川)にあった宿屋、「芳月楼」(ほうげつろう)は現在は一般の方の店になっているが、宿屋の趣が残る建物に見える。奈良県大淀町には本物(DNA鑑定済)のニホンオオカミ頭骨が保管されていて、一般にも公開される時がある。このニホンオオカミの頭骨は、紀伊半島の開拓者、吉野熊野国立公園の父、岸田日出男氏が一般民家の方から引き取った物だ。■全国狼紀行・放狼記Facebook、YouTube他■日本狼之館http://www.suikeikai.jp/nihonoukaminoyakatatop