五條新町通りで歴史散策。
五條新町通り(五條新町伝統的建造物群保存地区)の特徴
昔の町並みが魅力的で、歴史を感じられます。
重要伝統的建造物が200年以上も残る通りです。
人が少なく静かな雰囲気でのんびり散策が楽しめます。
五條新町にある小さな重要伝統的建造物群保存地区です。現存する最古の民家栗山家を始め、白壁の家々を訪ね歩ける。保存地区ということの他にすぐ裏手は吉野川流域です。また金剛山脈の連なる山々とのコントラストは五條十八景をなす。
吉野川の水運と、紀州街道の宿場町として発展した五條の古い街並みが今も残っています。観光地によくあるつくりものの街ではなく、今現在そこで人々が生活している現役の街というのがいいですね。まちや館、まちなみ伝承館などの展示施設をめぐりながら、ゆっくり街の雰囲気を楽しみたい場所です。
こぢんまりとした重要伝統的建造物群保存地区です。こぢんまりしているので歩き回る必要もなさそうだし、雰囲気はちゃんと残っています。何より今も普段どおり生活されているのが素晴らしいですね。
昔の町並みを散策しながら五條の人々との交流を楽しめる事が出来ました!地域の人々は、とても親切に五條の歴史や文化等を説明してくれました!
観光客が少なく静かな町並み。無料駐車場有り。伝承館と、まちや館は入場無料。トイレもこちらにあります。まちや館で案内してくれる女性スタッフさんがとても丁寧に説明してくれました。特に何かある訳では無いので観光客は少ないですがポテンシャルの高い古い町並みです。
関ケ原の合戦で功績を挙げた松倉重政は五條の町一帯に一万石余りを与えられると、現在の妙住寺の辺りに二見城を築き五條二見藩を立藩します。城と五條の町場は離れていたため、その間を結ぶ道沿いに新たに整備したのが新町です。現在の新町橋から西側が新たに整備された地区だと言われています。重政は大坂の陣でも戦功を挙げたため、四万三千石に加増され肥前国へと転封されました。二見城は廃城となり藩領は幕府直轄の天領となりますが、伊勢・大和・紀伊を結ぶ街道が交差し、吉野川の水運の中継地でもある五條は古くから交通の要衝であったため、五條新町は大和国南部の経済・流通の中心地として繁栄します。肥前国転封後の重政は、知行地四万石余りの大名としては分不相応な島原城を築き、徳川家に忠誠を示すため過分に天下普請を請け負い、更には領土的野心を秘めてフィリピンのルソン島攻略を幕府に上申します。それらの財源として過重な年貢・労役を課し、またキリシタンを徹底的に弾圧して追い詰めるなど、領地の事情を鑑みない無慈悲で苛烈な悪政を敷いた結果、跡を継いだ嫡男・勝家と共に島原の乱の原因を作った暗君として後世に名を残すことになりました。乱が勃発する数年前に重政は他界していますが、乱を惹起したとして松倉家は改易され、当主の勝家は武士に与えられる最後の名誉である切腹さえ許されず、庶民の罪人と同じように斬首刑となります。世間一般では悪名高い重政ですが、ここ五條新町では町の発展の基礎を築いた名君として称えられ、顕彰碑や追悼碑が建てられています。
奈良県下に残る歴史的景観の楽しめる場所の一つです。通りには近世の風情を感じることができ、また近代建築もあります。新町通りの西端には五新線(未成線)に伴う高架があります。ただ、通りは西向きの一方通行のため、時々車が通過します。道路幅が狭いので、注意する必要があります。
趣のある街並みで、癒やされます。
歴史を感じられる町並みで興味深く楽しめた。資料館などの説明も優しく良かった。
名前 |
五條新町通り(五條新町伝統的建造物群保存地区) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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近くを通ったのでまちなみ伝承館に車を駐車し、通りを散策。(伝承館の方はとても親切な方でした)他の方の口コミにもあるように結構保存状態が良い建物が多かった。鬼瓦があったり、昔のポストがあったり、良い意味で風情のある街並み。あとは電柱がなければ最高ですね。