高野山で空海が勧請した神々の歴史。
御社の特徴
山王院本殿は1522年に再建された重要文化財です。
高野山の地主の神々を祀る神社として知られています。
空海が最初に建てた建造物で、歴史的意義があります。
「御社(みやしろ)」は、弘法大師 空海が高野山を開創する際、この地の守護神である「丹生明神(にうみょうじん)」と「高野明神(こうやみょうじん)」を勧請して祀ったのが始まりとされています。お寺の中に神社がある、日本古来の「神仏習合」の姿を今に伝える非常に重要な場所です。現在の社殿は1594年(文禄3年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。三つの社殿が並んでおり、左側から一宮(丹生明神)、二宮(高野明神)、そして三宮(十二王子・百二十伴神)が祀られています。今回、訪れた時は工事中でした。
神仏習合こそ日本の宗教の本質弘法大師は山神様丹生明神(にうつひめのおおかみ)から高野山を頂戴した女神さまだそうです高野山が女人禁制なのは山神様がヤキモチを妬くからなのかな?神様をお祀りして聖なる結界を張り巡らして修行の場を整えたそうです確かに標高900mもの山頂にこれほどの平らな場所があるなんて奇跡的なことだしかも都からも遠く離れた山深い場所に見出すなんて神様が空海を呼び寄せたとしか思えないですね導いた神様は、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)であり黒と白のワンコを連れてるとかそういえばワンコ連れの参拝客をよく見かけるのは、そう言った由来からOKなのか?これは調べてみて下さい。
御社(みやしろ)という弘法大師が平安時代に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされた重要文化財。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神(高野山の土地の神様)二宮は高野明神(空海さんを高野山に案内された神様)三宮は総社として十二王子・百二十伴神が祀られています。
この外観から伊勢神宮を思い起こす人もいるのではないか。右から丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神だそうです。
参拝日2025年5月14日14時頃に辿り着きました。日の光に照らされたお社に心惹かれました。また季節を変えて参拝したいと思います。
寺院の中に、神社があるなんて、と思う方もいると思いますが、日本の歴史上はむしろ普通。神仏混淆は、言葉の意味はどうあれ。普通の日本人は、神様仏様であって、それぞれ別ではあっても、明確に分離しなければならないと意識はされていなかった気がします。弘法大師は、むしろ神仏混淆思想をより強化(土着化?)しようとした節もありますね。
本殿の歴史は古く、弘仁10年(819年)5月3日、山麓の天野社より勧請されたと伝えられています。高野山が開かれたのが、弘仁7年(816)ですので、伽藍諸堂整備の中でも比較的早い時期に完成したのが、この地主神を祀る御社山王院本殿であったことがわかります。本殿は向って右から「丹生明神社(一の宮)」「高野明神社(二の宮)」そして左端に十二王子百二十番神を祀る「総社(三の宮)」が並んで建っています。高野山霊宝館Webサイトより転載。
壇場の西端にあり、三社が並列する。右から丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神を祀る。弘法大師は高野山開創にあたり、仏教の諸尊と日本本来の神祗との融和に意を用いられ、高野山の地主神として丹生明神と高野明神(狩場明神)を弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請された。その本社は山麓天野にある。大師以後今日に至るまで山内の住侶はこの明神を厚く尊崇してきた。文禄3年(1594)再建。御社の前の拝殿を山王院という。ここで毎年決まった日に堅精や月並問講などのぎしきを行う。山内住侶の重要な宗教的行事である。丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ばれ、どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられています。現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。
| 名前 |
御社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ご創建は819年頃。元々御社山と呼ばれたこの辺りの神様です。ご祭神は、丹生都比売命(山の神)と丹生都比売命を祀っていた狩人、狩場明神です。狩場明神は白と黒の二匹の犬を連れた狩人の姿で現れ、弘法大師を高野山に導き開山の手助けをしたと伝えられています。御社に祀られた後に、高野明神とも呼ばれるようになりました。丹生都比売命も狩場明神も、高野山一帯の豪族だった丹生氏の氏神だと言われ、丹生氏が弘法大師を助けて高野山を開山したおり、丹生氏の氏神を高野山の守護神としたものでしょう。ご社殿は1594年の再建で、重要文化財に指定されています。御社の拝殿である山王院では毎月「法楽論議」が行われます。壇場から少し足を延ばして高野山霊宝館に行けば、絵巻「高野大師行状図画」のなかで弘法大師と狩場明神の会見のくだりを見ることができます。御社の存在が神仏習合の日本らしさを象徴しています。