三国境石を訪ねて、歴史を感じる旅へ。
国境石の特徴
文政四年の国境石が立つ歴史的な場所です。
三国境交差点に位置する道標が評価されています。
国交省の案内板に詳細が記載されています。
高速基山でバス降り、国道3号まで来た時になんかいな?と思って覗きこんだら、この境石でした。文化4年(1807年)に黒田藩と対馬藩との話し合いによって設けられたそうです。3号のバイパスができたときに今の地に遷されたとのことです。
不思議に粗末な駐車場あり。
こんな大通りに史跡があると知りませんでした。ということは、この辺りに昔は関所があったのでしょうね。
三国境石は、筑前、筑後、肥前の三か国の境界を示す為におかれた境界石です。江戸時代には、数ヶ所建てられていたようです。この三国境石は、当時三国坂の峠の険しい場所にあったものを、移したものです。従是東筑前国(これよりひがしちくぜんこく)と刻まれていますが、この文字は福岡藩書家のニ川相近の書です。文化四年建立の彫り込みも見えます。三国坂は、現在の東明館小学校当たりだそうなです。
正確には三国境交差点の境界石というべきかな?だってさ筑前と肥前の国境だし……まぁ道路脇であまり目立んくせに駐車場あるしメシ屋も風呂も近くにあるんで悪くない環境の史跡だよな。
ここの国交省の案内板にあるように国境石で文政四年のモノ。肥前国と筑前国の境でほぼ長崎街道沿いにあります。
蚊が多いし、見るべきモノは無い。
少し意識して見てみます。これより西肥前国たいしゅうりょう(対馬藩)、これより東筑前国(黒田藩)。筑前と肥前国との国境の松が枯れたため1807年に造られました。
三国境の道標。筑前、筑後、肥後の三国。
| 名前 |
国境石 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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成り立ちを見ると元々の場所が不明瞭だったために建てるまでに対馬藩と黒田藩の話し合い2年に及んだと記載されています。文化四年ごろ。元々は街道沿いの松を目印にしていた様子。余程立派な木が生きていたんでしょう。それが枯れて国境石を建てるに至った。この場所は移設地ですが、元々は3号が出来る前の平野にあったとされています。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈現在の鳥栖市周辺は、かつて対馬藩の「飛び地」として統治されていました。• 成り立ち: 山がちで米が獲れない対馬藩のために、幕府が食糧供給地として肥沃な佐賀の土地を与えたのが始まりです。• ゆかりの碑: 田代小学校付近に「代官所跡」や藩校「東明館跡」の碑があり、対馬から派遣された武士たちがこの地を治めていた証となっています。• くすりのルーツ: 対馬藩が朝鮮貿易で得た薬の知識を広めたことで「田代売薬」が発展し、現在の久光製薬など「くすりの町・鳥栖」の礎を築きました。