柳川藩主田中吉政像を訪ねて。
田中吉政公銅像の特徴
柳川藩主田中吉政公の像がある歴史的なスポットです。
戦国時代から江戸時代初期を感じることができる場所です。
静かな雰囲気の中で草木と花が揺れる美しい環境です。
柳川下りからの写真お殿様だそうです。
もっと目立つ所に置いて下さい。
秀吉・家康の下で、土木事業に手腕を振るった大名です。大阪城の石垣用の大岩を小豆島から切り出して運搬した功績や、関ヶ原の戦いの後に伊吹山中で石田三成を捕縛したエピソード等でも知られています。また、大らかで闊達な性格から、誰からも愛された人だったとのこと。城主を務めた、近江八幡・岡崎・柳川で都市計画を行い、数々の土木事業を行っています。堀割をめぐらし、いま在る柳川の基盤を造ったのは、田中吉政です。(かつて治めていた近江八幡にも、吉政が造った掘割が残っています)有明海の干拓事業・潮害対策、領地の殖産興業も推し進めました。10年に満たない治世で、柳川のまちづくりの基盤を固めた功績には驚きです。意外なことに、キリスト教に帰依し、「バルトロメヨ」の洗礼名を受けています。治水事業では武田信玄のほか、オランダの技法を学んでいたと言われていますし、既成概念に囚われない柔軟な思想や、「進取の精神」を持ち合わせていた人物なのかも知れませんね。
関ヶ原の戦いで石田三成公を捕縛し、これら勲功により、筑後一国を与えられた田中吉政公の銅像です。柳川と言えば立花宗茂公ですが、現在の柳川の町を作ったのは彼になります。
柳川の基礎を造った柳川藩主田中吉政像です。関ヶ原では三成を捕らえる功績をあげました。現地に駐車場はありません。
船頭さんの話で知った田中吉政公。オノ・ヨーコと共に印象に残った人物である。
花が咲いて、草木が揺れる。水のまち柳川は歩いていて楽しかったです。
立花宗茂公を探していたら、田中吉政公に出会ってしまった。戦国一の武将でありながら柳川には宗茂公の名残がなさすぎる気がした。もう少し下調べをしてから来るべきだったか。
(たなか よしまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。転封の過程で居城とした近江国八幡(現滋賀県近江八幡市)、三河国岡崎(現愛知県岡崎市)、筑後国柳川(現福岡県柳川市)などに、現在につながる都市設計を行った。そのことは現代でも高く評価されている。筑後国主。
| 名前 |
田中吉政公銅像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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