佐賀の偉人に学ぶ、楠神社。
楠神社の特徴
楠木正成・正行を祀る歴史深い神社です。
龍造寺八幡宮と同じ敷地に位置しています。
趣のある本殿で特別なご利益を感じられます。
佐賀の偉人達からも崇拝されていたという事で、非常に興味深かったです。本堂内の親子像も見れて、良かったです。以下引用させて頂きました。楠神社所在地佐賀市白山1丁目3-2年代近世安政3年(1856)、佐賀藩執政鍋島安房が楠公像を遷し、八幡神社の境内に尊像を祀り、「楠社大祭」を執行した。これが現在の楠神社のはじまりである。奥の神殿には、楠正成、正行(まさつら)の父子像が御神体として祀ってある。毎年、5月25日に例祭が行なわれ、昭和10年には大楠公六百年祭が盛大に営まれ今日に至る。楠正成がその旗に印した文字が「非理法権天」である。この記念碑は、楠公神社のすぐ前に建っている。非は理に勝つこと能はず理は法に勝つこと能はず法は権に勝つこと能はず権は天に勝つこと能はず天は宏大にして私無し人生幾多の波瀾曲折あれどついに天を欺くこと能わず又、天に逆らうこと能わざることを意味する言葉である。
楠神社(通称:楠公さん)は龍造寺八幡宮と同じ敷地内に鎮座されています。◆御祭神楠正成命(くすのきまさしげのみこと) 大楠公楠正行命(くすのきまさつらのみこと) 小楠公◆御由緒楠神社は安政3年(1856年)5月25日(旧暦)本庄町梅林寺より八幡宮境内に遷座し神として祀ったことに始まる。当社の由緒沿革は寛文三年(1663年)佐賀藩士深江平兵衛入道信渓が大木英鉄らと謀り、京都の仏師法橋宗而に楠正成、正行の像の造作を依頼し、佐賀大和町永明寺に小堂を建て祀ったのがはじまりである。これが我が国における楠公を祀った最初であり元禄五年(1692年)徳川光圀(水戸黄門)が湊川建碑に先立つこと29年も前のことであった。御朱印は書置きをいただきました。日付ではなく「仝右」となっているのは龍造寺八幡宮と同じ日(右に同じ)という意味です。
龍造寺八幡宮が同境内にあり、外周塀があまり無いオープンな神社でした‼️楠木正成・楠木正行を祀っている神社で、本殿もなかなか趣がありました‼️
❶【参考 楠神社 佐賀の琹 1926年】2023_09_09楠神社松原町八幡小路八幡神社の境内にある。祭神は楠正成・楠正行。我が国で最初に楠公を祀った由緒ある神社である。寛文2年(1662年)藩主鍋島光茂(みつしげ・二代目藩主)の時、藩士 深江信渓は大木英鐵の賛成を得て、楠公父子の木造を刻み、奉加帳を作って佐賀城下に祀まつろうと志し、京都の仏師 法橋宗南に託して櫻井驛における 楠親子決別の甲冑象 を彫刻させた。寛文3年(1663年)5月に竣成したので、佐賀県北原村(春日)永明寺に安置して、これを祀った。水戸光圀の湊川建碑(元禄5年・1692年)に先つこと29年、今を去る263年前(1926年当時)に当たり、実に我が国最初の事である。奉加帳の初筆は藩主 鍋島光茂(みつしげ・二代目藩主) で、世嗣(せいし・世継ぎ)綱茂、家老以下、家中男女、法師に至るまで、300余名の喜捨(きしゃ・ほどこし物)があった。其の後更に本庄村_高傅寺_及び梅林庵にうつされ、久しく放置されてあった。嘉永3年(1850年) 枝吉神陽・深江種禄_等_同志_相謀り,義祭同盟を組織して祭典を行った。安政元年(1854年) 白山八幡社の境内に楠社をたててここに遷座し、それ以来毎年5月25日に楠公父子の祭典を執行した。明治18年(1885年)、其の後社殿 荒廃したので、社地を現在の所に移した。明治33年の秋、明治天皇御名代として 小松宮彰仁親王 御成の時、佐賀停車場に設けた御休憩所を移して拝殿とし、更に神殿をも新築した。例祭は楠公祭り 7月12日、小楠公祭り 2月12日である。[鎮座地] 白山八幡宮境内[祭神] 楠正成・楠正行[例祭] 楠公祭り 7月12日、小楠公祭り 2月12日。
2022年7月29日参拝。
孫も仲間入りお詣りしてきました🙋
楠木正成をお祭りした神社です。
龍造寺八幡宮と同じ敷地内にあるもう一つの神社。楠木正成公と楠木正行公が祀られています。義祭同盟結成の地でもあります。御朱印は、龍造寺八幡宮の社務所で書いていただけます。達筆です。
龍造寺八幡宮の境内の中に建立しています✋あなたは、佐賀の八賢人になれる‼️
| 名前 |
楠神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0952-23-6049 |
| HP |
https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=985 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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御朱印が頂ける神社。直書きして頂ける。御朱印は龍造寺八幡宮の社務所にて。