浦上天主堂の南壁、平和を祈る。
旧浦上天主堂の特徴
旧浦上天主堂の南壁は、本物の被曝遺構であります。
長崎市の平和公園内にあり、目立つ場所に位置しています。
大正14年に完成した貴重な歴史的遺跡です。
大正3年(1914年)に天主堂、大正14年(1925年)にその双塔を完成させ、東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂は、原爆によりわずかな堂壁を残し崩れ落ちてしまいました。この遺壁は、聖堂の南側の一部を移築したもので、原爆による石柱のずれが注目されます。
水を吐いていそうな獅子の彫刻が気になりました。大浦天主堂には33の獅子象があったそうで、煉瓦遺構と一緒にこちらに移設されていました。今の浦上天主堂にも遺構がありますが、爆心地に移設されたこちらのほうが高さがあります。
元々は爆心地から北東約500mの小高い丘にあった浦上天主堂(聖堂)が原子爆弾のさく裂により破壊されわずかに周りの壁を残すのみとなった。この側壁は聖堂の南側の一部で、1958年(昭和33年)に新しい天主堂建設のためこの地に移築されたもの。壁上の石像はザベリオと使徒である。
原爆で倒壊した旧浦上天主堂の南壁です。ここに移設されています。原爆資料館にあるものはレプリカだそうです。信徒の献金と労働奉仕によって、かつては東洋一と謳われた浦上天主堂。あの日、失なわれてしまいました。キリスト教の国が同じく信徒のいる国に何てことをしたんだと思わずにいられません。遺壁は何も言いません。だけど、見るものに語りかけているように感じられます。私が行った日は外国の方もいました。彼等がキリスト教の信徒なのかは分かりません。どんなことを感じたのでしょうか。
原子爆弾投下中心地に建っていた大浦天主堂。遺構から見ると、煉瓦造りの建築物で、高熱と爆風によりほぼが消し飛び、この壁?柱?だけが残った様です。広島では、爆心地近くの原爆ドームを保存してますが、長崎でもこちらと山王神社二の鳥居は、しっかりと保存して、多くの人に見て欲しいと思いました。こちらも星5つを付けるのは、違和感があります。素晴らしいの星5つではなく、多くの人たちに来て見てもらいたい星5つです。
旧浦上天主堂 遺壁は、長崎市の平和公園内にある国指定史跡「長崎原爆遺跡」の一部です。旧浦上天主堂は、1914年に献堂された東洋一の壮大なカトリック教会でしたが、1945年8月9日に長崎に投下された原爆の爆発によって、ほとんどが破壊されました。遺壁は、そのときに残った聖堂の南側の壁の一部で、1958年に新しい天主堂建設のために平和公園に移築されました。遺壁には、熱線と炎にさらされ黒く変色した聖像や石柱があり、被爆の悲惨さを伝えています¹²³。旧浦上天主堂 遺壁は、長崎の歴史と文化を感じることができるスポットです。
旧浦上天主堂の南側の壁。原爆により倒壊した壁を移転した物、数少ない当時の現存する貴重な壁。しかし、この場所に移転されるまで、色々な事があったのは、地元の人しかしらない。
原爆資料館の展示はレプリカだけど、こちらは本物。熱線で焼かれた後に爆風で基礎と上の建物がズレて焼かれていない部分が見えている。よく見ないとわからないので是非見てほしい。
2023.04.05北東へ500m離れた場所にある浦上天主堂も、ほとんどの建物は倒壊したが、一部の壁が残ったそうだ。これは南壁の一部で、爆心地に移転し展示されている。塔の上にはフランシスコザビエルと使徒の石像がみられる。
| 名前 |
旧浦上天主堂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://nagasakipeace.jp/japanese/map/zone_inori/tenshudo_iheki.html |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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2018年8月訪問平和公園の祈りのゾーンの中心にある原爆落下中心碑の東側にある原爆によってわずかな堂壁を残しただけで崩れ落ちた浦上天主堂の南側遺壁の一部が移設された。