月隈山の永山城跡、神秘的な散歩道。
永山城跡の特徴
自然に恵まれた神秘的な場所で、散歩にも最適です。
江戸時代に築かれた永山城の石垣がしっかりと残っています。
平山城の名残である横穴墓が多数存在する珍しい城跡です。
上部の東屋がある辺りが天守閣があったのじゃないかな、と感じてます。鳥の声がいっぱい聞こえますが、街の喧騒もいっぱい聞こえてきます。展望は少しだけ開けてました。
上まで上がりましたが、誰も居ませんでした。日田市が一望出来ます。登る途中に石に穴が沢山開いていて後で説明を読んだら昔の豪族のお墓のようです。
堀に囲まれたところにある石垣はかなり後世になって作られたものらしく、綺麗な感じです。そこから奥の方に進むと駐車場があり、そこから山に登る感じになります。隣が、高校なので、入口付近はにぎやかな感じです。入口からは数分程度で上まで上がれます。残っている石垣はそのほとんどが丸石で作られており、これはこれで他にはあまり例を見ないような気がします。なぜか切り込み剥ぎ?と思われる箇所もありますが、これは補修した後かもしれません。石材は安山岩かなぁ?凝灰岩のようにも見えますがあまりにも表面が不朽していてなんとも分かりません。無料駐車場があり、石垣や展望も楽しめます。公園では小さな子どもも遊べるため、家族できても何とかなりそうです。
お城のことはよく分かりません。でも城跡の残る横穴の沢山ある公園としてはとても良いと思います。また城下町がとてもよく見える。巨木も沢山。根っこすらも愛おしい。いいところです。☆石垣については明らかに綺麗なものは修復されたものもあると思います。元々のものは丸石が使われていたのかもしれません。この辺は八女の方の城跡と類似します。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈調査資料より序文一部転記↓↓↓この永山城は、江戸幕府が開かれる直前に築かれていますが、このことによって近世の日田 が始まったといっても過言ではなく、その後天領として栄えた日田の原点ともいえる。永山城は築城後数十年で廃城となり、日田の政治の中心は永山布政所に移ります。明治時代には日田県庁としても利用されます。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈コトバンクより↓↓↓大分県日田市丸山町にあった平山城(ひらやまじろ)で、旧称は丸山城(まるやまじょう)。市街地北部にある三隈(みくま)三山の一つである月隈山(つきくまさん)に所在した。1601年(慶長6)、日田郡代として豊臣秀吉の家臣、小川光氏(みつうじ)によって築かれた。石川忠総(ただふさ)入封後に城の改築と城下町の移転などが行われたが、1633年(寛永10)に中津藩の預かりを経て、幕府直轄領となり初代代官に小川氏が入城。同代官が1639年(寛永16)に廃城とし、日田陣屋が置かれた。現在、水堀の一部や塀、小川氏時代のものとみられる石垣などの遺構が残っている。
自然に恵まれ神秘的で散歩するのにいいからです。
豆田町からすぐ。眺めも良いです。
無料駐車場もあり、重伝建地区の豆田町にも徒歩で散策出来ます。お堀周辺の石垣は明治期のものではありますが、雰囲気は充分です。本丸の石垣が少しだけ残っています。そこからの眺めは中々良かったですよ。
江戸時代に永山城が築かれるも、のちに麓に日田陣屋が作られて廃城。今では高石垣が本丸に残るのみである。鎮座している月隈神社に向かう途中にある横穴は昔のお墓だったとのことで中々不気味な感じがある。
日田市街の北部、月隈山に築かれた中世戦国時代の城跡です。関ケ原合戦後の1600年頃に入封した小川氏が築城したとされています。本丸跡に残る石垣上からは日田の町並みが眺められます。麓には商家などが集まった豆田町があり、観光名所となっています。
| 名前 |
永山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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日田市街地の北、月隈山に残る城跡。城が整備されたのは江戸時代初期ですが、すぐに廃城となり、以後明治維新にいたるまで日田陣屋が置かれていました。月隈公園の東側や南側には石垣があって城らしい雰囲気ですが、これらの石垣は明治以降に築造されたもののようです。ただし、頂上近くの本丸跡には当時のものとされる石垣が残っています。早くに廃城となったので城らしい雰囲気はあまりありませんが、頂上には本丸跡と思しき広場があり、この一角からは日田市街が一望の下に眺められます。かつて天領日田を治めていた代官たちも、ここから日田の街並みを眺めていたのだろうと思うと感慨深いですね。ふもとの公園からは徒歩10分くらいの上りなので、散策がてら気軽に訪れることができます。登り道の途中にあるたくさんの横穴墓も要注目です。