壱岐島の春一番、見晴らし最高!
春一番の塔の特徴
壱岐島郷ノ浦フェリーターミナル近くに位置しています。
春一番の発祥の地として知られています。
階段を登ると見晴らしが良く素敵なモニュメントがあります。
壱岐島郷ノ浦フェリーターミナルの近くにあるスポット。春一番という言葉の発祥の地らしい。展望台からの眺めが良かった。
『春一番』の発祥の地。港の横の丘をのぼるとすぐ塔があります。となりには子どもも遊べそうな広場も。特段なにもないですが港近くで子ども遊ばせて時間潰したいときなどによいかも。
2022年4月13日訪問見晴らし良かったですビューホテル壱岐の駐車場に春一番の塔まで上がる階段あります階段上り口に表示があり、分かりやすかったです。ホテル向かって左側です往復10分位の所ですが、階段しかないので、高齢者は体力に自信のある方にオススメします。
春一番って某女性グループの歌から楽しい雰囲気がありますが、この様な悲惨な事からだったとは知りませんでした。ご冥福をお祈りします。塔は横のビューホテル壱岐から見下ろす事が出来ます。
NHK「日本人のおなまえっ!」で知りました。春一番という言葉の発祥はここにあったのですね。すぐ下の郷ノ浦港の防波堤に「春一番発祥の地」と描かれています。
春一番発祥の地。
銘板に以下の通り。漁民たちは早春に吹く、「春一番」「春一」「カラシ花落とし」と呼ばれる南の暴風を恐れた。この風が吹き通らぬうちは、落ちついて沖に出られなかったからである。元井浦は延縄漁を主とし、漁船は四、五人乗組の小型であった。五島沖の喜三郎曽根は鯛の好漁場といわれ月に一度か二度、天候を見定めて出漁していた。安政六年(一八五九)旧二月十三日は快晴で、格好の出漁日和であった。殆どの漁船が喜三郎曽根に出漁、各船は順風に恵まれ予定の時刻の到着した。直ちに延縄をはえ始めたが、一船が南の水平線に黒雲の湧き昇るのを発見、「春一番」だと叫んだ。それを聞くや、ことごとくの船が、今仕掛けたばかりの延縄を切り捨て、帰帆の用意にかかったが、強烈な南風は会場を吹き荒れ、小山のよう怒濤が漁船に覆いかぶさってきた。漁民達はなすすべもなく、船もろともに海中に消えて行ったのである。遭難者の数は五十三名であった元井浦では、その後「五十三霊?脱の塔」」を建立し、毎年、旧二月二十三日は、どんなに天候が良くても沖止めとし、漁民一同が集り、海難者の冥福を祈念することを行事とし、今日に及んでいる。昭和六十二年三月十二日(旧二月十三日)郷ノ浦文化調査委員日本民族学会員tt目良亀久。
素敵な記念碑!マリーナのホテルの後ろにあります。(原文)ice monument! Its located behind the hotel in the marina.
春先に吹く強い南風「春一番」言葉の発祥は壱岐。1859年(安政6年)この強い風で漁師が遭難。自然の怖さを忘れないように建てられたら。船の形。
名前 |
春一番の塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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3分程度の階段を登るとモニュメントが見えます。高台から湾の様子を眺めたり、子連れさんには公園で日向ぼっこや遊具で元気良く遊べるスペースもあります☺️フェリー🚢出港待ち時間などに有効活用してください。港から徒歩10分はかかりそう😃