田舎の静寂、上のびゅう塚。
都紀女加王墓の特徴
都紀女加王は応神天皇の曽孫に関連する貴重な史跡です。
佐賀で唯一の皇族の墓として特別な存在感を放っています。
別名上のびゅう塚としても親しまれている場所です。
都紀女加王は、応神天皇の曽孫(3世孫)にあたり、筑紫米多国造としてこのあたり一帯を治めていました。ここにある墓は、上(かみ)のびゅう塚古墳という遺跡にあり、宮内庁により都紀女加王の墓に定治されています。上のびゅう塚古墳は、前方後円墳で墳丘長は49mで5世紀の築造と推定されます。このあたり一帯には、目達原古墳群として大塚古墳・古稲荷塚古墳・稲荷塚古墳・塚山古墳・瓢箪塚古墳・無名塚古墳・横田南塚古墳等存在していましたが、昭和17年目達原飛行場建設で破壊されました。上のびゅう塚古墳の北に墳丘墓模型として7分の1で再現されています。
バス停に案内がありました。公園となっている目達原古墳群の南に位置していて、ホテルと道路を挟んだ向かい側ぐらいにあります。境内の厳かな雰囲気と、ホテルの看板との対比がユニークさを感じさせるかもしれません。
15代応神天皇曾孫の墓、佐賀で唯一の皇族の墓かもです。
もう少し説明の掲示が欲しいですね😅✋施設の中に入って、掲示板に立ち入り禁止と書かれても、立ち入ってしまってるし・・
別名「上のびゅう塚」 宮内庁管理の陵墓である。当然立ち入ることなど出来ないし、説明看板などどこにもない。「古墳は前方後円墳で、前方部を西に向ける。墳丘長は49メートルで5世紀の築造と推定されるが、埋葬施設は明らかでない。墳丘表面からは埴輪・葺石が見つかっているほか、墳丘周囲に周溝が巡らされたことが明らかとなっている。昭和18年(1943年)に宮内省(現・宮内庁)によって都紀女加王の墓に治定された」(ウィキペディアから抜粋)平々凡々な我輩はぼーっと見てるだけ。
名前 |
都紀女加王墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0952-52-4934 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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田舎街の一角にあまり目立つ事なく佇んでいます。都紀女加王(ツキメカオウ)という応神天皇の曾孫の古墳だそうです。この地に建てられた事も竹葉瀬として宇佐にいた頃、養子に引き取られた説の信憑性が高まります。この王の名前からも宇佐族の月(ツキ)信仰の名残が見られるのではないかとも思います。この頃は筑紫国と豊国の関係はあまりよくない印象なのですが、まだ古代史を詳しく知らない自分にはいろいろ勉強になる場所でした。ここで古代から姿が変わらないホタルガも見つけました。古墳作られた頃からずっとここに住んでいるのかな?と想像を膨らませたりもしました。ちなみに春は桜が綺麗です🎵