島津義弘公の晩年を学ぶ。
島津氏加治木館の特徴
島津義弘公終焉の地で、歴史を学べる施設です。
薩摩藩時代の加治木を体感できる貴重な場所です。
義弘が晩年を過ごした屋形跡として訪れる価値があります。
島津義弘公が晩年過ごしたと云われている屋形跡。現在はほとんどが学校となっており残された部分は護国神社になっていて石垣と移設された石橋が残されているだけです。車で訪れる場合は加治木郷土館前の観光駐車場に無料で停められます。
【義弘に関連あり】慶長12年(1607年)に義弘が帖佐から移り住み、晩年を過ごした。現在の加治木高校・柁城小学校が屋敷の敷地であった。護国神社のある一角に石垣などが残る。
薩摩藩時代の加治木と、西南戦争との関わりを学ぶ上で大切な場所です。
島津義弘公終焉の地。
| 名前 |
島津氏加治木館 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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島津義弘は慶長12(1607)年、帖佐から加治木館に移り元和5(1619)年に亡くなる。享年85歳。亡骸は鹿児島城下の島津本家、菩提寺福昌寺に葬られた。人生をほぼ戦場で明け暮れた義弘公が畳上で死すとは。加治木、国分、出水の地の約5万石が豊臣家の直轄地だったとは知らなかった。慶長4年(1599)に慶長の役の武功により島津家に返還。