首里城の龍樋が湧く名泉。
龍樋の特徴
首里城の瑞泉門近くに広がる、立派な龍樋が魅力です。
龍の口から湧き出る澄んだ水は、まさに琉球一の名泉と称されています。
隠れたパワースポットで、観光客も驚く絶景を楽しめます。
「瑞泉門(ずいせんもん)」の手前にある泉になります。龍の頭の形をした銅製の樋(川や泉から水を導く長い管)から湧水が流れ出していることからこのように名付けられました。この水は王宮の飲料水として使用されていました。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れた時には、那覇港近くにあった宿舎まで毎日ここから水が運ばれていたそうです。龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものだそうです。
見落としがちですが、首里城正殿に向かう階段の脇道にあります。きれいな水が湧いているので、首里城に来た際は探して見た方がいいですよ。
パワースポット!運気が上がる!
ウォーキングで巡る那覇の河川・樋川・井戸・湧水その97 【那覇市首里当蔵町3丁目】2020/12/06①場所(首里城内 瑞泉門付近)●首里城内の瑞泉門の階段途中右側に樋川と案内板あり。●この辺りは南風之平等(ハエヌフィラ)・当蔵村(トーヌクラムラ)であった。②龍樋●龍樋は、守礼門から歓会門を経て瑞泉門へ向う石段の右脇で、立派な合方積みの城壁の基部に位置している。下位の泥岩と上位の石灰岩の不整合面から湧き出る地下水を、幅約1.2 m、高さ約0.5mの小さな土手で堰き止め、そこから長さ約2.3mの吐水石龍頭(トスイセキリュウズ)で導水し、貯水槽へ注いでいる。貯水槽は一辺が約1.8mの正方形で、深さは約1.3mである。溢れ出る水は、瑞泉門へ向う石段の下にある排水溝へ流れ出ている。四段の石段の下にある踊場は、奥行き0.7~1mで、幅は約2mと狭い。吐水石龍頭は、高位であった沢岻盛里(タクシセイリ)が慶賀使として中国へ渡った際、1523年に持ち帰り、水吐口に取り付けたと伝えられる③案内板●石段途中の右手に泉があります。龍の口から水が湧きでていることから、龍樋という名があります。龍の石彫刻は、今から約500年前の1523年に中国からもたらされた当時のままのものです。龍樋の水は、王宮の飲み水として使われました。また、中国からの使者「冊封使」が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった宿舎「天使館」まで毎日この水が運ばれたといいます。この周辺の石碑は、龍樋の水の清らかさを称賛した冊封使たちの書を刻んだもので、冊封七碑と呼ばれています。沖縄戦でほとんどが破壊されましたが、拓本をもとに1996年(平成8年)に復元されました。石段上の門は瑞泉門で、その名は龍樋の水が瑞泉(りっぱな、めでたい泉の意味)と讃えられたことに由来します。別名「ひかわ御門(ウジョウ)」ともいいます。「ひ」は樋のことで、「かわ(川)」は沖縄では井戸や泉のことをさします。さきほどの歓會門とちがい、双璧の石門の上には櫓がのっています。この形式は日本本土の主な城の門と共通しています。創建は1470年頃。沖縄戦で焼失し、1992年(平成4年)に復元されました。参照:沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫首里古地図参照:沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸参照:案内板。
まるで千と千尋の神隠し。束の間の異空間に日頃の悩みも現れます。ドラゴンカッコいい🐉
竜の口から水が出ている。
尚真王のころ(1520年代)に設置された龍頭が清泉を落としています。この龍頭は護座丸の孫である澤岻親方盛里が進貢使として中国に渡った時に持ち帰ったものだそうです。
首里城は琉球石灰岩の上に建っている王城です。この高台にある龍樋の水は雨水なのですが、こんこんと湧き枯れません。奇跡の王城です。ブラタモリを見て感動しました。
隠しスポット。セーブできそう。
名前 |
龍樋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-886-2020 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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2024年2月18日、午後訪問那覇市、首里城の守礼の門をくぐり歓会門を瑞泉門へ向かう階段の途中の脇にある泉とても立派な石組みの囲われた泉で大きな龍の樋から水が出る様子は当に琉球一の名泉と言えやす王様や冊封使にも提供された名水で今でもこんこんと湧いてやすよただ当日は沖縄全体が渇水なせいで龍樋も水が少なめではありやした💦岡の上にある首里城でも龍樋のある場所はかなり高めな所なのでここに大きな泉があるのがホンマに不思議なわけさあ。