南部氏の歴史感じる根城。
根城跡 本丸址の特徴
南北朝時代に南部師行が築いた歴史的な城跡である。
日本100名城にも数えられる貴重なスポットが整備されている。
復元した御殿風の建物が見応えあり、資料展示も充実している。
このエリアは有料。無料エリアから中は見れないようになっている。お城好きの個人的意見だが、外から眺める空堀、土塁、屏、門などが素晴らしいが、中は城跡とゆうよりも、当時の住居跡とゆう感じ。
八戸市博物館と同じ場所にある城址 本丸を復元してあります ……お城といえば複層の天守閣が聳えて甍や鯱鉾が空に輝く のイメージですが こちらは檜皮葺きの平屋建て 御殿の風情がありました 係員氏?の丁寧な説明も役に立ちます!
根城の主殿といわれる建物が再建されていてこちらは有料となりますが見応えは十分ですー☺️ここで一つ疑問が…なんで根城の城主も江戸時代になって新たに八戸藩主となったのも系統は違えど同じ南部氏なのに八戸藩主は根城を本拠にしなかったんやろ?元々あった城なんやから陣屋に縮小するほうが新たに陣屋を築くより経済的にもマンパワー的にも絶対に良いと思うのですがねー😅しかし…なんで博物館の職員さんに質問しなかったんやろー💦めちゃくちゃ後悔してます😢
桜を見たく、4/23訪問。散り始めでしたがまだまだ見頃でした。枝垂れ桜が多く。復元建物と相まって良い雰囲気です。ベンチや東屋も多く適度に休憩をとりながらゆっくり回って一時間半ほどでした。桜で囲まれた広場も広く、近くの保育園児達のお散歩も気持ち良さそうです。近隣の方にも愛されている公園なのですね。百名城の一つで、本丸のみ入城料が250かかりますが、これだけ整備された公園なら寄附の一環で入っても全然良いかなと思います。良い枝ぶりの欅もありました。秋口には紅葉も見事でしょう。
訪問が5月3日でしたが、少し桜が残っていました。根城と城が付いていますが時代が南北朝時代の遺跡の為、石垣なんかはありません。切り堀は残っています。駐車場(無料)から広場を抜けると本丸に到着です。本丸は有料となりますが、当時の屋敷や倉庫なんかを見事に復元しています。当時青森地方を統制していた元祖南部家から、二つの勢力へと分断し、その勢力同士で争いが起きたとの事。しかもその南部家はもともと山梨出身だった事。当時の服装(着物)は麻で出来ていた事等、すごく勉強になりました。
根城南部氏の根拠地。八戸城以前の中世の拠点として細部に渡り復元され、周辺の公園併せて当時の館や役割毎の建物が内部まで精巧に再現されています。八戸の人達の誇りと熱意が伝わってきます。館内は各々の間毎に往時の雰囲気を再現する復元がされており誠に興味深く楽しいです。
2021/11/21訪問根城の築城は1334年の鎌倉時代です。南部師行が築城。JR八戸駅から路線バスを利用しました。バス利用の際は、帰りのバス停を調べておいた方が良いです。運転手さんに聞きました。まずは、バス停からすぐの八戸市博物館で八戸地方の歴史を学び、職員さんに根城の行き方マップを頂きました。見どころは安土桃山時代の建物の復原された本丸です。当時の暮らしぶりや、主殿での行事ごと、鍛治工房、番所などがあります。とてもリアルにできているので、とても楽しかったです。堀切も見ることができます。
2022/09訪問。公園としても史跡としてもよく整備されてますね。案内の職員さんも親切ですし。…駐車場が少し狭いかなぁ。
根城は鎌倉幕府滅亡の翌年の1334年に南朝方の北畠顕家に従って下向した南部師行によって築かれました。根城という名前は南朝方の「根城」となるようにいとう願いから付けられたそうです。その後八戸南部氏の拠点として江戸時代を迎えましたが、1627年に八戸氏22代の直義が南部利直の命で遠野へ移封され廃城となったそうです。現在、根城の本丸後には主殿や工房、納屋、馬屋などの建物が復元され戦国期の武士の暮らしを学ぶことができます。鍛冶場や納屋などは掘立て小屋の作りで、戦国期も飛鳥時代以前の建築様式が用いられていたことや、鍛冶場や武具は城下町で作ったり、修理するイメージがあったので、当時は城の中で完結する機能があったということイメージできて大変参考になりました。思えば、いくつもお城を回って来ましたが、ここまで当時の様子を再現しているところはあまりなかったかも。もののけ姫の山場が一つの生活圏としてその中で完結していた様子を思い出しました。当日は九戸城に寄った後に訪問しましたが、先日の大雨でいわて銀河鉄道の運休が多く、八戸での滞在時間はわずか1時間半。八戸駅から約10分ほどバス乗って訪問しました、地図上は馬場前の停留所で降りた方が根城広場に近そうですが、実際は博物館入り口の方からしか入れないので注意してください!当日はいい天気で広い場内を気持ち良く散歩もでき、時間があればもっとじっくり散策したかっです、、100名城のスタンプは八戸市博物館の入り口にボックスが設置されいて、御城印は博物館の受付で購入できます。
名前 |
根城跡 本丸址 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0178-41-1726 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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南部氏史跡。百名城。2017年5月14日来訪。南北朝時代において、南朝方に与した、南部師行が築城した。南部師行については、甲斐国波木井の地頭職であったところ、1333年、後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて、陸奥国司として奥州に下向した南朝方の武将北畠顕家に従い陸奥に下向し、翌1334年、糠部郡八森に城を築き、この城が南朝の根拠地となることを願い、根城と名付けたという。南部師行は、糠部郡の郡代として、鎌倉幕府の北条残党の鎮圧や切り崩し等を行い、陸奥北部で南朝の勢力を広め、北畠顕家の留守の間は、多賀城を守る等の活躍をし、1337年には北畠顕家に従い、京に向けて出発し、途中鎌倉を占領、1338年1月には美濃国青野原(岐阜県大垣市)で北朝方を破るが、同年5月、和泉国石津の戦いで北朝方の高師直に敗れ、北畠顕家と共に戦死した。この頃の活動から、南部氏の惣領は、盛岡藩を立てた三戸南部氏ではなく、根城南部氏(八戸氏)だったともみられている。師行死後、1392年 南北朝合一により、南朝方の根城南部氏当主政光は、足利義満に仕えていた三戸南部氏当主守行の勧めで、北朝に帰順した。以後、根城南部氏は三戸南部氏の影響下に入る。三戸南部氏守行の江戸期に作成された業績は、秋田合戦に参加し、遠野、閉伊等に出征し、津軽安東氏と敵対して、北は外ヶ浜から南は岩手郡まで南部氏の勢力圏としたという壮大なものであるが、一次資料に乏しいものらしく、これは八戸南部氏(江戸期は遠野南部氏)に対し正当性の根拠とするためであった可能性があると思われる。三戸南部氏の影響下に入った根城南部氏は、政経の代から正式に八戸氏を名乗るようになる。戦国期には、南部氏の氏族の新田氏から養子として八戸氏を継いだ八戸政栄が、南部信直と九戸政実の家督争いにおいて、信直の擁立に尽力し、以後信直の右腕として活躍した。江戸期において、八戸氏は、遠野に移封され、以後世襲筆頭家臣となり、御三家のひとつとして続いた。根城は、史跡根城の広場として整備されており、東端に八戸市博物館が併設されており、駐車場もそこにある。土塁と堀により構成された縄張りは、築城技術が発達した戦国期の城とは異なる趣があり、また本丸等の建物が見事に復元展示されており、大変価値のある史跡だと思いました。