盛岡城跡と鐘、蓮が彩る。
時鐘 奥州路磐手郡盛岡県城北更鐘の特徴
藩政時代からの歴史を持つ貴重な文化財です。
盛岡城跡の下曲郭に移設された時鐘があります。
ライトアップされた鐘の美しい姿は必見です。
藩政時代に城下に二ヶ所あった鐘のうちの一つで当時から城下に時を知らせてたそうで280年間使われたと記載されてますね歴史ある貴重な文化財です。
県指定有形文化財。
岩手県庁、岩手公会堂の近くにある自然に囲まれた鐘です。近くで見ることができないですが、塀の外からでも迫力が伝わる鐘です。
盛岡城跡の下曲郭にある土塁に移設された時鐘です。
ライトアップされた姿はとても綺麗でした。
盛岡県庁前から南方面、交差点を渡って盛岡城跡エリアに入ります。鳥居⛩をくぐり、左手の「盛岡城跡案内板」の先を鶴ヶ池を左に見ながら左折、30m先に鎮座します。盛岡市ホームページの説明は以下のとおりです。盛岡城下の時鐘は,江戸時代2か所にありました。1つは,城下外郭南東部にあたる河南地区の十三日町(現在の南大通2丁目付近),もう1つは,北西部にあたる河北地区の三戸町(現在の中央通3丁目付近)です。現在,県指定有形文化財となっているのは,「日影門外時鐘(ひかげもんそとじしょう)」と称した三戸町の時鐘にあたります。この時鐘は,4代盛岡藩主南部重信(なんぶしげのぶ)の子,行信(ゆきのぶ)の発願により1679年(延宝7年)11月に設置されました。鐘銘は,聖寿禅寺大道和尚の作で,鋳物師小泉五郎八が鋳造したものと伝えられています。鐘の大きさは,竜頭まで2.03メートル(6尺7寸),惣廻り3.79メートル(1丈2尺5寸),指し渡し1.21メートル(4尺),輪口の厚さ0.15メートル(5寸),重量3
お寺の境内でもないのに鐘だけポツンと立っていました。堀と鐘がよくマッチしています。近代化された市街地の風情に対し古都であることを主張しているようでした。
この時鐘は,4代藩主南部重信の時代にその子、行信の発願で、延宝7年に京都の釜師、小泉五郎七清則の手によって鋳造されたものだそうです。実際に、昭和30年ごろまで盛岡の人々に時刻を知らせてたそうです。この場所には、明治頃に移設されてきたそうで、元は今の中央郵便局辺りにあったらしいです。 季節によって、ライトアップされるそうな!
別にここは鐘があるだけなのですが、お堀にある蓮が咲く頃言ったら、まー見事でした。近くの公園も涼しいです。
名前 |
時鐘 奥州路磐手郡盛岡県城北更鐘 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.ccimorioka.or.jp/morioka_sanpomichi/pdf/machinami/6.pdf |
評価 |
4.2 |
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とても歴史ある貴重な文化財なんですね。紐がついていないので、イタズラできないようになっていました。天気が良い日には木の間から空が覗けて見え、最高です。