海蔵山 太寧寺の静寂な魅力。
太寧寺の特徴
金沢文庫駅から800mの距離に位置しているお寺です。
敷地内には小川笙船赤ひげ先生の供養塔があります。
能見台駅からバスが利用できてアクセスが楽になりました。
自宅から最も近くにあるお寺さんで、何時も静なのが大好きです。
今は、能見台駅からバスがそばまできているのでお寺まで楽にこれるようになった。😟
山号は海蔵山、寺号を太寧寺と称する。少しややこしいが前身寺院は瀬ヶ崎つまり今の関東学院大学付属小学校敷地に存在した薬師寺で当時は真言宗だった。鎌倉時代の一帯の領主の居所が今の金沢区寺崎に存在する真言律宗の別格本山格を持つ称名寺の敷地に邸府を構えていた金沢区北条家で、その屋敷地ざ寺院化され称名寺に成り門前町~洲崎が発展した。その頃に薬師寺は称名寺前の寺前地区に機能移転し現在の三療山薬王寺と寺号を改めて現存する。しかし瀬ヶ崎の薬師寺も破棄された訳では無く支院の様に存在した様だ。その薬王寺の旧境内地薬師寺の所在地である瀬ヶ崎の関東学院付属小学校一帯が旧地名が鉈切と呼ばれ、源範頼は実は吾妻鏡には書かれていないが同地鉈切に抑留された後に自害しており、供養の為に改めて臨済宗の太寧寺として再興開基されたそうだ。前身が薬師寺なだけあり太寧寺の御本尊も薬師如来様で、又、開基が源範頼公とされている事から御存命中の抑留先が薬師寺そのもので、範頼公の自害と戒名の再に生前から太寧寺と改めて菩提寺にする事が決められたのかも知れない。瀬ヶ崎に存在した時代は大寺院だったが、第二次世界大戦中に横須賀海軍飛行場(現:日産追浜工場及びテストコース)の瀬ヶ崎方面への拡張と野島に建設中の野島掩体壕(零式艦上戦闘機用格納庫)の接続の工事により、現在の片吹の狭い境内地に移転させられた。兄の頼朝公や源義経より大軍を纏める将器に優れていた事や、南関東武士団に支持された源頼朝公に対して弟の源範頼公は北関東武士団の棟梁として別勢力を纏めていた事から、鎌倉幕府成立後に兄弟間と言うより家臣団の派閥間の政治的な権力闘争に巻き込まれ陰謀により軟禁され自害したのだろう。更に菩提寺も後々の世に帝国海軍により縮小移転されるとは・・・誠に非運の名将である。しかしながら、この名将を横浜市金沢区民が太寧寺で供養する事が出来るのは、横浜市民にとって名誉な事であると思う。
駐車場なし。もともと六浦の方にあったが軍事施設を作るために移動させられ今の地に。建築物自体は普通のお寺であり、狭い場所にあるため、建物はお堂と庫裏のみ。金沢文庫から歩いて行けるが近所に住んでいる人でない限り金沢区民でも道に迷うかも。国道16号から京急の線路下の通路を潜ってから山側にまっすぐ歩いて行くのが一番わかりやすい。
車で行くことが出来ない。
名前 |
太寧寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-781-0908 |
住所 |
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HP |
https://yokohama-kanazawakanko.com/spot/institution/tera/tera009/ |
評価 |
3.5 |
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金沢文庫駅から国道16号線を北へ800m位登ると右側にセブン-イレブンが見え、その辺りから左側京浜急行の路線をトンネルで潜った先を登ると本堂が略狭い敷地内左側に小川笙船赤ひげ先生の供養塔、奥に源範頼五輪塔があります。元々現在の金沢八景駅先追浜駅間の瀬ヶ崎関東学院大学付属小学校敷地辺りから移転して現在の片吹の地に戦前移転して墓石も移されたとか。で源範頼の領地に有った前身の薬師寺は称名寺寺前の薬王寺に引継がれそちらには位牌と800周年供養塔が有るとか。また大寧寺の本尊薬師如来像にはサイトにへそ薬師、貧しい女子の亡くなった両親の為お供え物をしようと麻で作ったへそを買うという伝説も有るとか。