勝竜寺のほてい市で心癒やす。
勝龍寺の特徴
毎月第1日曜日に開催されるほてい市では、自然食のキッチンカーや雑貨が楽しめます。
明智光秀や細川ガラシャにゆかりのある歴史的な雰囲気が漂うお寺です。
種類豊富な御朱印があり、特にガラシャの御朱印が人気です。
ご本尊の十一面観音の御開帳にお参りに行きました。JR長岡京から徒歩10分ぐらいです。ちょうどお経を唱えておられる最中でしたので本堂の入口で待っていたのですが、お寺の方が冷たいお茶をくださいました。ありがとうございました。ご住職のお話のあと本堂に入りましたが仏像もりもりです。ご本尊の秘仏 十一面観音は頭上面がなく、割りと小さめの仏像でしたが、微笑んでいるような表情のとても優しそうな観音様です。両隣に「コ」の字にならんで3人見つめ合うように2体の観音様がいらっしゃいました。片方は十一面、もう片方は宝冠をかぶった観音様でした。観音様3体の両脇には持国天と多聞天。他にも色々な仏像がありましたが、向かって右端に金ぴかの毘沙門天がおられました。桃山時代の作と書いてありましたが、むちゃくちゃ男前です。東大寺 戒壇堂の多聞天と並びます。しかも、こちらの毘沙門天はかなり若く見えます。この方の絵はがきもあればいいのに。ご本尊のご朱印をいただきましたが、ちょうど私がもらうタイミングで書き手がご住職に代わられ、何かラッキーでした。
京都の勝竜寺(勝竜寺城)は明智光秀の娘・細川ガラシャ(玉)が細川忠興と結婚し、新婚生活を送った場所として知られています。また、本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた光秀が最後の夜を過ごした場所でもあります。勝竜寺城は、光秀とガラシャにとって特別な場所であり、歴史上重要な役割を果たした場所として知られています。詳細⦿細川ガラシャの嫁入り1578年(天正6年)、明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)は細川藤孝の嫡男・忠興と勝龍寺城で結婚式を挙げ、新婚生活を送りました。⦿明智光秀の最後1582年(天正10年)本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた明智光秀は、勝龍寺城に逃げ込み、最後の夜を過ごしました。⦿勝龍寺城の改修1571年(元亀2年)織田信長の命により細川藤孝が勝龍寺城を改修し、当時の最先端の城郭として知られました。その他勝龍寺城は、細川藤孝の居城としても知られており、山崎の合戦では、明智光秀がここに陣を構えました。
孫は、『南無大師遍照金剛』と『お大師さん』が気に入ったよう。当地は、歴史・文化に触れ合える良いところです。、
城跡から徒歩5分ほどのところで住宅地の中にあります。元々青龍寺という名称が干ばつの際、雨乞いで思いが通じたことから龍神に勝ったということで勝龍寺と変えたとか。
勝龍寺城公園の近くの住宅街にあり、神仏習合の名残なのか春日神社の隣にあって、どこにでもありそうなお寺様です。ご本尊は秘仏で決められた日(8月18日の観音大祭、11月第2日曜日に行われる長岡京ガラシャ)にしか公開されません。本堂のとなりボケ封じの観音様が居られ「近畿十楽観音霊場の第三霊場」となっています。御朱印は3種類あり、庫裏にてすべて揮毫していただけます。11月のガラシャ祭の時期に特別御朱印があるようです。
毎月第1日曜日に開催される【ほてい市】は、境内に自然食のキッチンカーやパン、雑貨などのお店が並び、室内ではマッサージやカラーセラピー、アロマなどのリラクゼーションサロンがあります。子ども向けのワークショップが並ぶ日もあり、本堂前ではライブもありで、半日まるっと遊べます。
真言宗のお寺です。御朱印は、寺務所に行けば頂くことができます。色々な種類の物が有ります。
明智光秀、細川ガラシャファンなら一度は行くべし✌️
車は境内の中で止めれます。認知症が進んだ親が食事や水を取らなくなって 入院前日にこちらの呆け封じの観音様に藁をも掴む気持ちでお参りしたら次の日から水が飲めるように、食事も喉を通るようになり、入院をしなくてよくなりました。ありがとうございます。
| 名前 |
勝龍寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-951-6906 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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マルシェ、寺子屋などイベントをよく行い、大人も子どもも嬉しい行事いっぱいあります。人との縁、環境を大事にしているとても良いお寺です。