樺太の歴史を感じる丘。
九人の乙女の碑の特徴
第二次世界大戦を背景にした、九人の電話交換手の慰霊碑です。
忘れられない歴史が息づく、見晴らしの良い丘の上に位置しています。
国境の土地ならではの悲しいストーリーに、心が打たれる場所です。
第二次世界大戦、終戦直後に樺太で自ら命を絶った九人の電話交換手慰霊の碑。説明は割愛しますが、こうしてクチコミを書いて、誰かがここに訪れる気持ちになれば幸いです。戦争の悲劇を感じさせる場所です。駐車場はすぐ近くにありますので、車で行けます。外国人の方へ。言葉が読めないから致し方ないとは思いますが、戦争で犠牲になった方々の慰霊の碑ですので、はしゃいでインスタ映え向けの記念写真撮るよりかは、静かに撮影していただければ幸いです。
旧日本領南樺太で亡くなられた方々の碑。稚内市には過去の出来事について知る事が出来る場所が何ヶ所か在ります。近くで鹿が草を食べてました。
海原と稚内の街を見下ろす見晴らしのよい丘の上にある慰霊碑。詳しくは稚内市樺太記念館で学べます。
忘れてはいけない歴史がここにあります。樺太の方角を見ながら祈りました。
この場所は自分的に好きな場所で人生に行き詰まった時に来ます。
連れが宗谷管内では、一度訪ねてみたいと、長年聞かされていたので、今回宗谷管内まで足を伸ばしてきた。この慰霊碑は、当時樺太真岡町の真岡郵便局🏣で、自決した9人の電話交換手☎️の慰霊碑なのだ。概要は、太平洋戦争終結ね5日後の1945年8月20日、樺太真岡へのソ連軍侵攻により、真岡郵便電信局にて、連絡業務の為、残留していた女性交換手12名のうちの、9名が青酸カリ等で自決したとある。地元の樺太関係者や、 遺族らにより氷雪の門と、九人の乙女の像が建立てされて、ともに1963年8月20日に除幕されたとある。この慰霊碑は高さ1.8m、幅2.4mある。この碑文に刻まれている内容が、当初のと書き換えられる等、事実との違いで色々あったと、地元の知人に😢👂️💦聞いていたのだ。この碑に大きく刻まれている「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」連れま、私も戦争の惨さ、重みを感じるのだ。1968年9月に、昭和天皇が稚内市を訪れた際、この九人の乙女の像と、氷雪の門の前で深く頭を垂れられるれたと聞いた。九人の乙女の像の傍には、昭和天皇・皇后の和歌の碑も建立されている。
大東亜戦争の悲しいストーリーと言えば、空襲や原爆にスポットが当たりがちですが、国境の土地ならではの悲しいストーリーに心を打たれます。
9人の乙女たちの魂、安らかなれ。
1945年8月20日に樺太真岡郡真岡町の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑。是非映画『氷雪の門』を見て下さい。これを見てから行くと思うとことがあります。
名前 |
九人の乙女の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0162-24-1216 |
住所 |
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HP |
http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/gaiyo_rekishi/9ninotome.html |
評価 |
4.5 |
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知覧とここは来たかった!稚内市の眺めが良い!ハートランドフェリー越しに樺太が見えました!合掌!