縄解地蔵のお堂で幸せ願う。
縄解地蔵尊の特徴
縄解地蔵は日本三体地蔵尊の一つで特別な存在です。
子育てを願う縄解の由来が印象深く残るお地蔵様です。
境内の桜が美しい、お堂周辺は心安らぐ風景です。
間もなく2024年になります……🌝京都壬生寺から壬生町に、お引越しして来たお地蔵様、現在の東武壬生駅建設に際して、下台に移築されました、縄解とは母子を繋いでいる臍帯を切り現世の幸せを願う、子育てのお地蔵様。日本三大地蔵尊だそうです、下台自治会の方に大切にされています、学童保育所が隣にあります。🌝
境内の桜がとても綺麗でした。
江戸時代にはあった古い地蔵堂。東武宇都宮線の建設によって今の場所に移転して来ました。御利益は子授けと安産が有名で、遠方から訪ねて来る人もいるそうです。また、「縄解き」の名前から、冤罪を晴らすお地蔵様としての信仰を集めた時代もあるとのこと。4月の第三土曜日が縁日で、大量の鏡餅がお供えされます。縁日以外の日は寺務所などがないので、お札の授与は近くの商店で行っています。縁日とは少し時期がずれているのが残念ですが、春には桜が見事です。
名前 |
縄解地蔵尊 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

お堂に安置されているお地蔵様は、縄解地蔵と呼ばれ日本三体地蔵尊の一つといわれている。言い伝えによれば、正歴年間(990~994年)京都壬生寺を開山した快賢僧都が、霊夢を感じ、一本の木で三体の地蔵尊を仏師定朝に彫刻させた。ほかのふたつの三体地蔵は、京都市中京区の壬生寺にある延命地蔵尊、三重県の名張市にある縄目地蔵尊となっています。当初は、三体とも京都壬生寺に安置されていたが、壬生に初めて城を築いた小槻彦五郎胤業(おつきのひこごろうたねなり)が下野国に下向する際、夢枕にお地蔵様が立ち「我は、縄解地蔵という。出生の後、罪を犯し縄目の辱めを受けるとも前非を悔い改め、我を信心すれば、たちどころに罪障消滅して仏果(成仏という結果)を得せしむるものなり。汝もし我を伴いて壬生に到り、小槻を改め壬生氏を名乗らば開運疑いなし」とお告げがあった。信心深い胤業は、この夢に従って縄解地蔵尊を奉じて下野国壬生にやって来た。以後壬生氏を名乗るようになり、厚く信仰した。名称である「縄解」から、無実の罪をはらしてくれると古来より庶民の信仰をうけ、子授、安産、子育、開運、免罪、特に子供の守護仏として霊験」あらたかなりと近郷近在の信仰を集めている。例祭には、地元は勿論、他町からも祈願する信徒のお供え餅が、数多く奉納され、親から子へ、子から孫への子孫繁栄の源として受け継がれ、三十三年毎に大開帳として大祭が行われる。今の地蔵堂は、昭和六年東武鉄道壬生駅敷地に境内地が買収されるに伴い東下台に地元の人達を中心に、昭和九年七月新築再建された。尚、厚い信仰を受けているお地蔵様は、地元東下台自治会信徒の皆様の協力によって護持されている。以上敷地内にあった「日本三体縄解地蔵尊由来」より引用しました。毎年4月中旬になると、縄解地蔵尊の御開帳があるそうです。