金剛界大日如来の安らぎ。
医王山 長明寺の特徴
新四国88ヵ所霊場の第36番札所として訪れる価値があります。
本尊の金剛界大日如来に敬意を表し、真言も教えていただけます。
境内では薄グリーンの桜が美しく咲き、子供の自転車練習も可能です。
新四国88ヵ所霊場 第36番 長福寺医王山 長明寺(ちょうみょうじ)[高野山真言宗]⚫️本尊・大日如来県道・前橋館林線の金井十字路を北に進むと、すぐ右手に長明寺がある。かつての長福寺である。参道を入ると、左手に駐車場があり、六地蔵や二十二夜待供養塔、 庚申等などの石造物が立っている。その先には平成12年新築の薬師堂、その奥に平成4年に竣工した本堂が整然と建つ。薬師堂は間口三間の方形造りで、真新しさがまぶしい。本堂の内陣には、本尊の木像、 大日如来座像や釈迦如来が祀られ、その前には、弘法大師の像、布袋像がそれぞれ造られている。さらにその東には、平成6 年に建てられた客殿、 庫裡など諸堂が立ち並ぶ。この寺は、永禄3年(1560)に重圓和尚によって創建される。寛延3年(1750)に中興。当初は長福寺の名称であり、本堂、薬師堂が建っていた。その後、明治13年の火災で、本尊の大日如来を除きすべての堂宇を失う。それ以来、民家を仮本堂としていた。昭和28年、南方にあった明源寺と合併し、寺名を一字づつとり、長明寺と改称した。現在では関東88ヶ所の6番でもあり、巡礼に対する理解は深い。境内には、霊場を示す赤い奉納旗がはためく。《新四国88ヵ所霊場めぐりより》新四国88ヵ所霊場の長福寺と明源寺の御朱印を頂こうとしたのですが、住職さん曰く、発信元不明の霊場だとのことで、書けないと言われました。そこへ住職の奥様(にしては若い)らしき方が現れ、住職から納経帳を受け取り、奥へと消えていきました。その間、御朱印は長明寺のものしかないとのこと、それでも以前は関東88ヵ所霊場専用の納経帳でなければ書かなかったとの説明を受けました。霊場へのこだわりや思い入れもあるのでしょう。致し方ないと思ったところで奥様が現れ、老舗旅館の女将を思わせる対応で、ニコリと『ご苦労様です』と。渡された納経帳には、達筆で書かれた長福寺と明源寺の文字が!なんと驚きの神対応\(◎o◎)/お寺より何より住職の奥様?が、生きるパワースポット!観音様の様に感じました!
関東88ヶ所霊場札所。御朱印は納経所兼住職宅で頂けます。住職さん不在でしたが奥様?が直に書いて頂けました。¥300
関東八十八カ所霊場第六番霊場高野山真言宗のお寺です😉 本尊は金剛界大日如来 真言はオンバザラダトバン 種字は वं(vaṃ)ですね👌御朱印は太く力強い文字で書かれており達筆ですね👍 寺庭婦人様❔若しくは先代寺庭婦人様❔の揮毫には久しぶりに感心をさせられました😄いつまでもこのお寺の護持に精を出してお務めを為さられることを御祈念申し上げます😊また御年始まで戴きましたこと厚く御礼申し上げます🙇令和三年一月三日 合掌🙏🙏🙇
薄グリーンの桜が、綺麗にさいてました。
境内で子供の自転車の練習をさせて頂きました。
再訪2019/1/19拝受 今回は掛け軸に御朱印を頂きました。前回の御朱印には重ね印を頂きました。庫裏前に黄色の蝋梅(ロウバイ)が咲き始めていました。2018/4/21拝受 高野山真言宗の寺院。境内はサクラも終わりスッキリしているが、それに比べて庫裏前の庭にはたくさんの綺麗な花が咲いていた。ボタンやハナミズキが満開でした。御朱印をお願いすると奥様が手書きで書いて下さいました。とてもにこやかに快く対応して下さいました。感謝しております。関東八十八ヶ所霊場第6番札所の御朱印(本尊大日如来)を頂きました!
2018/4/21拝受 高野山真言宗の寺院。境内はサクラも終わりスッキリしているが、それに比べて庫裏前の庭にはたくさんの綺麗な花が咲いていた。ボタンやハナミズキが満開でした。御朱印をお願いすると奥様が手書きで書いて下さいました。とてもにこやかに快く対応して下さいました。感謝しております。関東八十八ヶ所霊場第6番札所の御朱印(本尊大日如来)を頂きました!
関東八十八ヵ所霊場。
御朱印あり♪関東八十八ヶ所霊場・第6番札所。
名前 |
医王山 長明寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0276-57-3278 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
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関東八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。高野山真言宗のお寺で醫王山長明寺といい、霊場第六番札所になります。御本尊は大日如来です。元禄三年僧重圓の開創で当初は長福寺と称していました、新田一族の荘園が開けた金井氏の居住した館跡になります。昭和二十八年(1953年)に明源寺(室町時代の開創)と合併し長明寺に改称しました。明治十三年(1880年)の火災により本堂や薬師護摩堂などが焼失してしまったが、御本尊の大日如来像と薬師如来像は焼失を免れた。長い年月仮本堂の姿であったが平成四年(1992年)に本堂を再建した、間口七間の入母屋造り瓦葺きの荘厳な造りである。