徳川家康公ゆかりの地で歴史探訪。
徳川東照宮(太田市)の特徴
歴史好きにはたまらない、徳川家の権勢を伝える神社です。
拝殿の後ろには、立派なケヤキの御神木があります。
世良田駅向かいの無料レンタサイクルで訪問が便利です。
訪問日:令和7年5月3日(データ)御祭神:徳川家康公管理人:地元の方?祭礼:?①神主:なし②駐車場:あり③トイレ:なし④写真撮影:可⑤御朱印:?・境内きれいにされてます・裏手の御神木のムクが立派。
歴史好きな人には興味が湧く場所だと思います👍️世良田東照宮から更に絞り込んだ場所になるんでしょうね⁉️世良田より地味ですが近くの廃寺となった場所に資料館も有混雑もなく見学出来ました🎵あと公共交通を利用する方は世良田駅向かいに無料レンタサイクルを利用した方が便利と思います。
徳川東照宮 日光 久能山 と比べれば😅ですが、徳川家の権勢を未来永劫に伝えるためのツールなんだろうなぁと思います。境内は手入れが行き届き、地域の御祭神として愛されているんだとも感じました🎵
徳川東照宮は満徳寺の裏手にある。県道289号沿いの満徳寺の駐車場に車を停めて徒歩3分程度で着く。趣のある石碑が二つ(「徳川義季公館址」と「・・東照宮」)建っていて感じが好い。参道入口の右手にある「尾島かるた」看板には興醒めするが・・・。ところで、書いてある説明文を読むと恐ろしい(?)、いや、面白い(?)ことが書いてある。「徳川氏 発祥の地 尾島町」と。私は半信半疑になった。浅学の私は、家康が永禄九(1566)年三河守護職に任官するために系図を偽造し、源氏(新田氏)一族に結び付けたと思っていたのであるが・・・。しかし、この地域の多くの人は「尾島かるた」にあるように想っているであろうし、そのことを示す徳川時代の関連史跡も地域にたくさんあるのだろう。徳川本家所蔵の家系図にもそのように書かれているようである。いったい、どちらなのか? ちょっとこのことを追究してみたくなった。素人ながらに・・・。早速、鍵が解けるかもしれない一番重要な関連史跡、世良田東照宮へ向かった。因みに、徳川東照宮は世良田東照宮創建(寛永二十一年;1644年)後、徳川郷主、正田義長が自己邸内に創建したと伝わる。正田氏は世良田(徳川)氏の家臣の流れを汲む者で世良田に残った系譜の者であろう。参道の左側には、「公爵徳川家達閣下御手植記念樹」がある。家達[いえさと]は徳川宗家第十六代であり、さすがお手植えの好きな家康の流れを汲んでいると思った。(^_-)-☆《2023.6.15訪問》
群馬県太田市にあるRVパークへ、キャンピングカーで車中泊しに行った際、立寄ってきました群馬県太田市徳川町に鎮座する神社です寛永21年に世良田東照宮が勧請されたことから、徳川郷主の18代当主・正田義長が邸内に東照宮を創建したと言われているそうです。
尾島かるたの「と」を確認後、境内を見学しお詣りしました。
久能山は知りませんが日光、世良田、上野に名古屋東照宮は豪華、徳川家発祥地でないことを祈っている。
その名もズバリな徳川の名を冠する東照宮だが、世良田東照宮と比べると、いや、比べるまでも無く、相当に寂れた小さい神社である。
新田系の得川氏の館跡と云われています。住所は徳川で徳川家康先祖の地と云われて、そこには東照宮がありもっとも由緒正しい東照宮です。東側の畑の中に伝新田義重夫妻の古い墓があります。社殿は普通の地域の神社と同じです。(中は権現造りですかね?)徳川家康の経歴詐称の地です。
| 名前 |
徳川東照宮(太田市) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0276-52-2045 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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徳川東照宮は新田義季の館跡に鎮座しています。近くにあった「尾島かるた」の案内板によれば、義季は新田氏の祖義重の四男で、新田郡徳川郷を領し、徳川氏の祖とされているそうです。「尾島かるた」の案内板がなければ、村社かなと思って通り過ぎてしまいそうなくらい小さな神社です。境内には由緒書等はありませんでした。お隣の満徳寺駐車場の向いにある永徳寺の由緒書には、「かつて境内にあった権現堂(徳川家康を祀る)は、大正十三年(一九二四)に徳川東照宮の拝殿として移されました」と書かれていました。徳川家康を「東照大権現」として祀る神社を東照宮と呼ぶそうですが、近くに世良田東照宮があるのに、なぜもう一つ東照宮を造ったのでしょうか。移したのが大正なので時期が違いますが、明治政府の神仏分離政策の影響かな?下記は「尾島かるた」案内板の内容です。尾島かるた徳川氏発祥の地 尾島町江戸幕府の将軍家徳川氏の先祖は尾島町にはじまるといわれます。新田義重の子の義季は世良田周辺地域を領地とし、世良田氏・徳川氏の祖となりました。義季から八代目の親氏が各地を流浪したすえ、三河国松平郷(現愛知県豊田市松平町) の豪族の女婿になり、その九代目の家康が名字を松平から徳川にかえたということです。