海の音と共に参拝、弟橘比賣神社の魅力!
弟橘比賣神社の特徴
海の近くで波の音を聞きながら参拝できる神社です。
日本全国の媽祖信仰の元総本山的聖地でもあります。
毎年4月には祭りが行われ、地域のお祭りとして親しまれています。
弟橘比賣神社 地元では天妃さんと呼ばれています。小さなお社ですが、歴史は深く、また地域の世話人の方々のおかげで、管理がされている神社です。私自身も小さい頃から参拝させていただいていたり、祖父、父と世話人を務めていたりするため、神聖な気持ちになれる大切な場所です。さて、毎年4月の第3日曜日に例大祭が行われているのですが、今年は御朱印がいただけるそうです!当日限りの配付なので、超限定…!御朱印をお集めの方是非に、弟橘比賣神社の例大祭「天妃祭」にお越しください☺️
弟橘比賣神社です。時間がないので入口の鳥居までで上までは上がりませんでした。御祭神の弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)は弟橘媛命とも書きます。日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃で、媽祖さまと同じく海にまつわる伝承がある神様です。現在ここに媽祖さまの御神像自体は存在しないようです。
由緒板によると元禄3年(1690)光圀公が創始。昭和18年沖洲神社と合祀して現在地に遷座されたとの事です。因みに北茨城市にある県内2番目の低山"天妃山"に鎮座されている弟橘媛神社にも、こちらとほぼ同じ内容の由緒板があります。(^o^)
海の近くで波の音を聞きながら参拝出来るのが魅力的。
大洗磯神社ばかりが有名ですが、ここもまた大洗…いや、日本全国の「媽祖信仰(天妃権現)」の元総本山的聖地であります。明が滅び清から亡命してきた心越禅師を水戸光圀公が保護、現在の水戸市内にある祇園寺の住職に任命しました。その際、禅師が自分を救ってくれたのは媽祖様のおかげだと水戸黄門に紹介…それを見た、黄門様、「あれ?弟橘媛様と似てない?くっつけて、水戸の女神様にしよう」ということで、神仏混交の特殊例として生まれたのが「天妃権現」、この神社を中心に、水戸藩で信仰が広まりました。なんと信仰は現在の青森県大間町にまで伝わりました(大間稲荷神社の媽祖信仰)。江戸時代、一大歓楽街だった祝町からの信仰も受けて、大変にぎわってました。が、幕末に徳川斉昭公が廃仏毀釈の先駆けとしての宗教改革を行い、その手はこの神社にまでおよび、弟橘媛命と媽祖神が分離、媽祖神は水戸・祇園寺に移されました。祝町の衰退、神社移設等が重なり、今ではすっかりかつての華やかさは見られませんが、そういう意味で珍しい神社ですので、一度ご参拝ください。なお夏場は蚊が沢山出ますので、秋頃がお勧めです。
昔は縁日もあって祝町の代表的な郷社でした。本来はいまの海門橋の袂にある銅像にあったものが現在地に移動してきたのですが、由緒はないとの事。また幕末期には大砲を据えつけて対岸にある湊御殿にむけて焼け玉を放ってます。故にドンドン山という異名もあります。昔は祝町は女郎街でもあったので天妃さんが祀られたのでしょう。
海上波風の難を救う神。だから境内に錨があったんですね。大洗水辺プラザ散策マップに入っている場所。石段をちょっと登ります。
小さな高台の神社です。オナガが賑やかに鳴いていました。
地元の方々が見守る昔からのお社です毎年4月には祭りがあり、昔(と言っても数十年前ですが)は出店がでるなどして子供時代の楽しみの1つでした。
| 名前 |
弟橘比賣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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創建は元禄3年(1690年)御祭神 弟橘比目賣命・豊御食津大神水戸藩主、徳川光圀公が明国から難を逃れた東皐心越禅師を助け、その後禅師は水戸の天徳寺に住み着きました。禅師を助けたことが縁で禅師が持ち込んだ天妃の像(媽祖-道教では航海・漁業の守護神として知られる)は天妃神社に祀られました。海上風波の難を救い給う神として漁民の篤く信仰されましたが、天保2年(1831年)徳川斉昭公の代に天妃像を引き上げ、御祭神を弟橘比目賣命とし弟橘比賣神社と改めました。昭和17年(1942年)那珂川河口流域改修工事に伴い弟橘比目賣神社・沖洲神社の二社を合祀奉斎、昭和18年(1943年)現在地に遷座しました。神社はとても静かな雰囲気です、境内からは木の隙間からわずかに海が見えます。駐車場は見当たらず階段下の空き地に駐車させていただきました。