鹿沼城跡で堀を散策!
鹿沼城跡の特徴
鹿沼城は16世紀前半に壬生氏が整備した本拠地です。
大きな空堀や土塁が今なお残っており圧巻です。
御殿山公園内の本丸跡は現在野球場になっています。
野球場全体が城跡になっている。近世城郭のようなはっきりわかりやすい痕跡はないが北西部の堀切は結構見ごたえあり。忠霊塔の裏手の土盛ももしかしたら当時の土塁の名残かもしれない。
若い頃に旧今市地区(現日光市)の城趾巡りをしたときに、鹿沼城を本拠地とする壬生氏のことがチラホラ出てきて、そこから興味を持って何回か訪れました。当時(30年くらい前?)は北側の土塁や空堀があるのはわかったのですが、ヤブがうっそうとしていて、とても見学する感じではありませんでした。しかし、最近ではボランティアの方が伐採作業をしてくれたり、発掘の成果などで鹿沼城がかなり大規模で、精巧な城ということがわかってきたようです。先日訪れたときは土塁や空堀を示す看板が立てられていて、静かなブームが始まっているなと感じました😙
散歩してみた🚶♂️テクテク野球場の入口に説明板🪧堀♪や土塁♬が見れた堀底道は遺構なのかわからない🤷♂️改変された城跡あるある。
こちら はぢめて行ってみましたぁ〜♪野球場になってますが 周りは堀残ってる所もぁり城跡だったなぁと実感できます👍城巡りされる方りぁ攻めしながら 堀見て歩くのもぉすすめ💕
ここに来る途中の遊歩道でのハチに注意です。
鹿沼城は、16世紀前半壬生氏の領内支配の本拠地として整備されました。天正13年(1585)城主壬生芳雄(みぶよしお)が小田原北条氏に従属すると、鹿沼城は北条の北関東戦線において激しい抗争の舞台となりました。天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原城討伐によって壬生氏の滅亡して鹿沼城は、廃城しました。壬生氏の家紋と考えられる左三つ巴文で、令和2年と4年の庁舎設備に伴う発掘調査では、左三つ巴文が描かれた漆碗が多く出土してます。尚これは、御城印についている説明書参照しました。
土塁と空堀は中々史蹟看板は写真の物と井戸の石標だけでした。
鹿沼城は、16世紀前半壬生氏の領内支配の本拠地として整備されました。天正13年(1585)城主壬生芳雄(みぶよしお)が小田原北条氏に従属すると、鹿沼城は北条の北関東戦線において激しい抗争の舞台となりました。天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原城討伐によって壬生氏の滅亡して鹿沼城は、廃城しました。壬生氏の家紋と考えられる左三つ巴文で、令和2年と4年の庁舎設備に伴う発掘調査では、左三つ巴文が描かれた漆碗が多く出土してます。尚これは、御城印についている説明書参照しました。
市役者裏手の公園になっているが、土塁や空堀がある。空堀はかなりの藪。わざわざ見に行くほどのものでもないかな。
| 名前 |
鹿沼城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0289-72-1300 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
2019/8/18御殿山公園にあるグラウンドの周囲に遺構がある。土塁は遺構なのかどうかちょっと分からないがたぶんそうなのだろう。北西には薮で写真に残せないがどでかい空堀があるのが確認できる。かつては北の坂田山城と陸続きだったのだろう。