鷲宮神社の歴史ある神楽殿。
神楽殿の特徴
趣のある本殿向かいに位置する、歴史を感じる神楽殿です。
地元の人でも一度も見たことのない、生の神楽が楽しめる場所です。
鷲宮神社の中にあり、訪れる価値のある神楽殿です。
綺麗、立派な神楽殿です。
国指定重要無形民俗文化財の鷲宮催馬楽神楽が奏演(そうえん)される舞台は、神楽殿と呼ばれています。鷲宮神社の神楽殿は、今から約200年前の文政4年(1821)に建てられました。神楽殿は本殿に向かいあって建てられており、神楽を祭神(さいじん)に御覧いただけるよう配慮がなされているといえます。神楽殿は、入母屋造(いりもやづく)り、三方吹き抜けで、鏡板(かがみいた)には日の丸に松が描かれています。間口(まぐち)3間(約5メートル40センチ)、奥行2間半(約4メートル50センチ)を舞台とし、その奥に3尺(約90センチ)の囃子(はやし)座があります。また、向かって左に間口1間半(約2メートル70センチ)、奥行1間(約1メートル80センチ)の橋掛(はしがか)りがあります。神楽殿再建の経緯を記した棟札(むなふだ)によると、享保(きょうほう)11年(1726)に再建された神楽殿が年を経て破損が甚だしいので、これを嘆いた八甫村の渡辺七左衛門(わたなべしちざえもん)、下新井村の青木勘左衛門(あおきかんざえもん)・本田元右衛門(ほんだもとえもん)・同由右衛門(よしえもん)らが中心となり、講中(こうじゅう)の助成を受けて修理料を集めたこと。これを受け神主大内国義(おおうちくによし)が文政4年10月に竣工・上棟の神事を行い、同年11月に神楽殿を再建したこと。大工棟梁(とうりょう)は川口村(現加須市)の嶋田善六(しまだぜんろく)・木挽(こびき)棟梁は鷲宮(わしのみや)村の小森忠兵衛(こもりちゅうべえ)・屋根棟梁は鷲宮村の高橋佐七(たかはしさしち)であったことが分かります。その後神楽殿は、約100年後の大正13年(1924)に屋根が葺き替えられ、草葺(くさぶき)から亜鉛鉄板(あえんてっぱん)葺になりました。また、約150年後の昭和50年(1975)4月には、屋根を修繕し、コールタールが塗布され、さらに昭和54年(1979)10月には、屋根を葺き替え、亜鉛鉄板葺から銅板葺になりました。しかし文政4年の再建から約200年後の今日、神楽殿は老朽化が著しく、耐震化の対応が急務となったことから、令和7年度と令和8年度の2か年度にかけて耐震補強・保存維持工事を行うことになりました。工事期間中は、鷲宮催馬楽神楽は鷲宮神社に設けた仮設の舞台で奏演されます。神楽が再び神楽殿で舞われるのが今から待ち遠しいですね。
本殿向いにありますけど、趣があります。
鷲宮神社の神楽殿です。関東にある神社では古い部類に入りそうです。
授与所はこの近くにあります。
本殿の向かいに在ります。
地元に住んでいたにも関わらず、一度も、生の神楽を見たことがありません。今でこそ、国宝重要無形民俗文化財に指定されていますが、一時は伝承者がただ一名となってしまい、消える危機に瀕してしまった時があったそうです。1955年(昭和30年)に、町内の若者十数人が集まって「鷲宮神社神楽復興会」が組織され、消滅の危機を何とか乗り越えたそうです。「鷲宮神社神楽復興会」は、「鷲宮催馬楽神楽保存会」と名を変え、今でも伝承活動を行っているそうです。文化継承は、私のような無関心が一番駄目なので、正月休みを利用して町の歴史を勉強しました。
鷲宮神社の神楽殿です。拝殿の向かい側にあり、神様に向かって直接、「鷲宮催馬楽神楽」(正式名称:土師一流催馬楽神楽)が奉納されます。
| 名前 |
神楽殿 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0480-58-0434 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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神楽殿この舞台は文政4年(1821年)に建てられました。重要文化財の神楽は 神社の伝統行事である「鷲宮催馬楽神楽」(わしみやさいばらかぐら)であり…国の「重要無形民俗文化財」に指定されて居る 貴重な奉納舞です。年に何回か この舞台で舞が奉納されます。