平清盛の五男、重衡の首塚。
平重衡の首塚の特徴
平重衡の首塚は、一の谷の合戦の後、捕らえられた重衡の首を供養した場所です。
墓地の端に位置する供養塔と碑が、歴史的な雰囲気を醸し出しています。
本庄市指定文化財に認定され、歴史を感じる貴重なスポットです。
供養塔の後ろにある石祠が首塚でしょうか。真ん中の石は質的に複製のようです。よく読めませんが向かって左の面には蛭川、右の面には寛、九月とあるので、蛭川高家の子孫が建てた供養塔でしょうか。
墓地の端、国道側に碑が建っているだけです。
この地は、一の谷の合戦の後、捕らえられた平重衡の首を児玉党の蛭川庄四郎高家がこの地へ持ち帰り供養した首塚であると伝えられている。
(本庄市指定文化財)一の谷の合戦(1184年)で児玉党の蛭河・庄四郎高家に生け捕られた、平清盛の五男、三位中将平重衡(しげひら)の首塚があります。捕らえられた重衡は鎌倉に送られて源頼朝に面会した後、南都の僧兵に引き渡されました。その後、処刑された重衡の首を、庄高家は自分の領地蛭河郷に持ち帰り、手厚く供養したといわれています。蛭川の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にあります。当地は中世には、武蔵七党児玉党・蛭川氏の本貫地で、蛭河・庄四郎高家は蛭川氏の先祖となります。
本庄市指定文化財。
平清盛の五男・重衡の首塚と伝わる。
| 名前 |
平重衡の首塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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平重衡は、平安時代末期の平家の武将・公卿で、平清盛の五男。平氏の大将の一人として各地で戦い、 治承・寿永の乱においては墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍しましたが、一ノ谷の戦いで捕 虜になり、鎌倉へ護送されました。平氏滅亡後、木津川畔で斬首されました(享年29)。その遺骸と 首は妻が貰い受けて荼毘に付し、その墓は京都市内にあると言います。他にも平重衡の墓と呼ばれる ものや供養塔があるようです。ここ蛭川郷にある首塚は(伝)かもしれませんが、敵方であった源氏 軍の武将の所縁の地で大事にされています。 国道462号線際に建つ『本庄市指定文化財 平重衡の首塚』標柱 側面に、 この地は、一の谷合戦の後、捕らえられた平重衡の首を児玉党の蛭河庄四郎高家がこの地へ持ち 帰り供養した首塚であると伝えられている。 と、あります。