日本橋の歴史を感じる。
木曽一里塚の特徴
慶長九年に築かれた一里塚が残る歴史的な場所です。
日本橋を基点にした東海道の名残を感じることができます。
市教委によってきれいに整備された案内板が見られます。
市教委の案内板が最近作られたのだろうか、きれいにされていた。小野路の一里塚は野津田公園の駐車場の近くにあるから通りかかって知る人も多いかもしれないが、ここはよほど近くに住んでいるひとが通りかかるくらいではなかろうか。このすぐ近くに、また別の古そうなものもある。旧日本陸軍だったか、勲何等云々とあったので戦前か戦後まもなくだろうか。
かつての街道の名残。
名前 |
木曽一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
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徳川家康は秀忠に命じて慶長九年(一六〇四)に、日本橋を基点に東海道、東山道、北陸道一里塚を築かせ全国に普及させた。その後、付属の街道である脇往還なども整備された。一里塚は旅行者の目印として一里(約四キロメートル)の間隔で道の両側に築かれた塚で、木陰で休憩がとれるように、榎や松が植えられた。町田市内には、木曽町、小野路町に一里塚が残っている。元和三年(一六一七)に徳川家康の遺櫃が駿河の久能山から日光東照宮へ移されたとき、東海道の平塚から、厚木、座間、木曽、小野路、府中と通過した。この道は、後に御尊櫃御成道(ごそんびつおなりみち)と呼ばれた。一八世紀になると関東各地から相模国大山阿夫利神社へ参詣する大山講が盛んになり、この道も大山道として利用され、木曽と小野路は宿場町として栄えた。木曽の一里塚も小野路と同じく道の両側にあったが、現在は西側のものだけが残り、塚の上には武蔵御嶽山の大口真神の小祠がある。駐車場はありません💦前面道路の道幅が広いので路駐して見学しました。