西谷戸横穴群の貴重な景観。
西谷戸横穴墓群の特徴
7世紀古墳時代の横穴墓群が広がる貴重な史跡です。
緑山スタジオに近く、開けた場所に横穴の跡が見えます。
アドマチック天国で紹介された、歴史を感じる特別な場所です。
横穴墳墓がフェンス越しに見えるだけで特に何もありません。
原形を留めた横穴墓群、13個も゙横並びで一望出来るのは貴重だと思います。キチンと保存する町田市の思いも゙感じました。(^o^)
緑山スタジオにほど近い「西谷戸横穴群」。古代の古墳時代の、この地の権力者…つまり豪族の墓所群ですね。9つの横穴が並んでおり、なかなか見応えは有りました。横穴が1つ2つという場所がこの辺りには多く…あまりパッとしない感じの場所が多いですが、ここは規模も雰囲気も良いです。正に豪族の墓所群という感じです。(シンプルな遺構ですので、何かのついでに見学といった場所では有りますが)中世の鎌倉時代~室町時代にかけても、やはり豪族達(武士達)が岩壁に横穴を掘り埋葬する「やぐら」という様式が有りますが、それに繋がる物ですね。(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の源頼朝や北条義時が生きた時代の風習です)因みに古代や中世の庶民に代々の墓という概念は無く、庶民は家族のご遺体をその辺に置いて放置埋葬するという「風葬」だったとの事。対して力の有った豪族達は同じ風葬でも、こういった横穴を掘り、その中に装飾品や武具などと共に風葬し、代々の墓を造ったらしいですね。(古墳時代で更に力の有る方は古墳や石室という感じでしょうか)中世(平安末期・鎌倉期)は苗字や名前という物も庶民には無く、やはり豪族達(武士達)など権力者の物でしたからね。貴族や豪族(武士)達の物であった「代々の墓」という概念や「苗字」、あとは「家紋」などが庶民に根付いたのは、江戸時代や明治初期(名字は)になってからとされています。
7世紀古墳時代の横穴墓群が9つ並んでいます。この墳墓を構成した一族が周辺のどの辺りで暮らしていたのか興味深いですが手掛かりはなし。谷地に暮らしていたのか、高台に暮らしたのか調べてみたい。
こういう遺跡を残してくれるのは、子供が歴史に興味を持つきっかけになってくれると思う。反面今まで沢山の遺跡が土地の開発で失われたんだろうなとも感じた。
保存の手が入りすぎ。
毎日、通過して気になってました。時間が有り、寄り道したら、7世紀の物との事で、歴史を感じました。
よく見ないとわかりません。
アドマチック天国で紹介されてました。通りがかりに一目見る程度で十分かな。
名前 |
西谷戸横穴墓群 |
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ジャンル |
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住所 |
〒195-0054 東京都町田市三輪緑山1丁目25−81488 |
HP |
https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/bunkazai/bunkazaimeguru/miwanougaya.html |
評価 |
3.3 |
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車を走らせていたら目に入ったので、ちょっと寄り道。崖面に横穴をあけて埋葬施設とした古墳時代の横穴墓で、1992年に東京都史跡に指定されました。7世紀前半から後半にかけてつくられたものらしく、この地域において開発を主導した人々の墓と推定されます。