剣術師範萩原の偉業を刻む碑。
萩原君碑の特徴
剣術師範萩原行篤を顕彰する特別な碑です。
歴史的な価値を感じられる場所として親しまれています。
萩原君碑で武道の精神に触れる貴重な体験ができます。
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私有地なのかロープの柵で近くまで入れず何が書いてあるかわかりませんでした。
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剣術師範萩原行篤の顕彰碑だそうです。
結局、何の石碑なのかよくわからない。
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| 名前 |
萩原君碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
2.7 |
| 住所 |
|
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2023/01/29文章訂正碑は、氏の剣道の指南としての貢献を讃えて門弟一同らが建立したもの。碑文の初めと終わりには、神奈川県知事 正3位 勲1等 男爵 周布公平 篆額(てんがく 題字を書くこと)、鎌倉郡長 従5位 勲5等 原田千之八 撰(=作文)とある。2022/11/14 秋になって雑草も少なくなり、藪の中に容易に入れるようになった。入口がわかり易く表示されて無いため、まず何処から入るのかだ。アパートの裏の簡単な案内板の通り、向いの藪の丘に数段登れば、すぐだ。藪の中には意外と広い空間が有る。萩原君碑は小さい墓かと思っていたが、想像以上に大きい。まるで日露戦争の忠魂碑のようだ。状況から見て、特に積極的には公開をしていないようだ。碑の表面には「剣道師範萩原君碑」「明治45年春3月」とある。近くの「萩原代官所跡」が剣道の道場だったところで、有名な新撰組の「近藤勇」も剣客の記録に有るとのこと。明治45年3月(1912年)は明治の終わり間近で、大正元年は1912年7月30日〜。前面は、さすが明治時代で、すべてが漢字の文章で切れ目が無く、正直読めない。これは漢詩なのか、誰か読めるのか。想像力を働かせ、まともな単語になるよう文字を拾うと、名前は、萩原行篤通称太郎 (太郎行篤=たろうゆきあつと呼ばれていたようだ)。(剣の流派は)直心影流(じきしんかげりゅう)。文政11年(1828年)7月生まれ。明治37年(1904年)2月12日病で没。享年70。(70?計算が合わない) 跡継ぎ8人。碑は、氏の剣道の指南としての貢献を讃えて門弟一同らが建立したもの。碑文の初めと終わりには、神奈川県知事 正3位 勲1等 男爵 周布公平 ◯額(=?不勉強でわからん)、鎌倉郡長 従5位 勲5等 原田千之八 撰(=作文)とある。文中には、神奈川県警察部教剣(剣術教官?)、明治28年大日本武徳会、老齢演武総裁小松宮殿下、等の名前が出てくる。明らかに庶民の世界では無い。大日本武徳会:戦前の日本において、武道の振興、教育、顕彰を目的として活動していた財団法人。1895年(明治28年)4月17日、京都に公的組織としてに結成された。初代総裁に小松宮彰仁親王。裏面は、前面とは違いかなり粗い面だ。そこに非常に細かい字で、「門人 / 当時の村名 / ニ百名近くの名前 その他数十名の名前」が彫られている。良く彫ったものだと、感心する。