手賀の森で歴史を感じる神社。
香取鳥見両神社の特徴
手賀沼の干拓前は天然の景勝地で、歴史が息づく静かな雰囲気です。
鳥見神社と香取神社を御祭神とし、文武天皇2年に創建されました。
鴨猟の碑に手賀の地名由来が記され、訪れる人にロマンを与えます。
立ち入り禁止の看板と少し入ると石の車止めのような所に鎖がはってあり入り口の進入禁止は車や2輪の進入禁止かと思いましたが、鎖があるところを見ると人も進入禁止のような印象を受けました。誰に聞いて良いのかもわからず人気のないところですので聞く人もいません。入ってよいのでしょうか?
鳥居の奥左側のシュロの木に、偶然、2度鳥の姿が写真に映りました。パーツが別の木もあり、その場所でなければ鳥の姿にならない。縄文期の祈りの場でもあったのか、私にとってとても不思議で神聖な場所です。
沼南町史によると、香取鳥見両神社は古来手賀の島と呼ばれる高台の最東端に位置し、手賀沼の干拓前は天然の景勝地であったとあります。神社は三方を手賀沼に囲まれた半島に位置し、景色も良かったのではないでしょうか。拝殿と本殿は1986年に火災で焼失後、再建されました。入口から続く長い参道が手賀村の村社、手賀の島の郷社であった神社の規模の大きさを感じます。
香取神社(香取市)の經津主命と鳥見神社(印西市)の饒速日命を御祭神とする神社で、創建は文武天皇2(698)年9月15日と伝わり、千葉氏やその一門原氏から崇敬され社殿が造営、布瀬地区の鎮守として繁栄しましたが、天慶年間(938~947年)の平将門の乱の折、兵火で保存していた寺宝が全て灰燼に帰しました。明治維新後の社格制定の折に村社に列格、大正4(1915)年に村社に指定、昭和52(1977)年に本殿が『香取鳥見神社本殿』として沼南町の有形文化財(建造物)に指定されています。境内には昭和17(1942)年に鳥猟組合が解散の折に建立された『鴨猟の記念碑』があり、豊年安泰を祈願する行事が毎年11月3日に開催されます。周辺道路狭いですが、西側からのアプローチにより駐車場あります。
当神社の中にある鴨猟の碑に手賀の地名の由来が書かれておりなんともロマンを掻き立ててくれます。写真二枚目から抜粋「名曰手賀沼蓋出于蝦夷語鷲之意也」この碑文によると手賀とはアイヌ語で鷲を意味するそうです。古代好きな人は一度来てみると良いですね。鳥居の脇に駐車場があります。
ふるさとの森の一番奥にある神社本殿です。昔は手賀沼が大きく半島のようになっていたと思います。きっと、きれいな景色だったと想像してます。
名前 |
香取鳥見両神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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静かな神社。その昔は手賀沼に突き出した半島の先見たいなところにあったのだろう。