高次元の巨木と初の女帝。
角刺神社の特徴
飯豊青皇女をお祀りする神社として有名です。
巨木が存在感を誇る、歴史ある神聖な空間です。
皇位継承の歴史を色濃く残す角刺宮跡が見どころです。
巨木も凄いが、最初の女性天皇をお祀りされている。(正式では無いらしいが、後は現地でご確認下さい。)
御祭神:飯豊青命創建の詳細は不明です。当社は飯豊青皇女が政を行った忍海角刺宮跡とも呼ばれています。日本書紀によれば、「飯豊青皇女は2人の弟が天皇の位を譲り合い、長く位につかなかったため忍海角刺宮で政治を行い、自ら忍海飯豊青尊(おしぬみいいとよのあおのみこと)と名乗った」と記されているそうです。飯豊青皇女の人物像は諸説ありますが、日本書紀では第23代・顕宗天皇、第24代・仁賢天皇の姉君である事が分かります。因みに、境内にある御神木は、直角に反り返る珍しい形をしていました。拝:2020/07/13
「葛木(葛城)の道」巻十四の一の十六 葛城市忍海322角刺神社(つぬさしじんじゃ)こちらの角刺神社は、飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)が二人の弟が天皇の位を譲り合い、長く位につかなかったため、彼らに成り代わり政を行った忍海角刺宮跡として知られています。またその時、忍海飯豊青尊(おしみいいとよのあおのみこと)と名乗ったと日本書紀で記録されています。飯豊青皇女(天皇)の陵は近鉄新庄駅の近くにおはします。また傍らの鏡池の言伝えでは、当麻寺の中将姫が出家したのちに曼荼羅を折る際に、そのもとになる織糸をこの池に求めよとのお告げがありこの池の蓮を選ばれた結果、数日後その蓮から出来上がった糸が立派な五色の色に変わったとの伝説があります。その時の感謝としてこの地から500メートルほど東のJRの踏切の傍らにお手植えされたということです。その跡が現在に残されているのです。境内は今でこそ静かな佇まいですが、昔は分水石の九平さんの話や中将姫の曼荼羅、稲荷神社にお参りする方々、池の周りで遊ぶ子供の声などで賑やかだったのかもしれません。袖の松の旧跡より100メートル余りで忍海村道路元標や太神宮さま、そして地蔵堂があります。細い道路の上、夕方なら移動の車でごった返します。気を付けて進みましょう。
倭辺に 見が欲しものは 忍海の 此の高城なる 角刺の宮 日本書紀葛城系の天皇から継体天皇へと変わる混乱期に、臨時で皇位に就いた忍海郎女・忍海飯豊青尊が朝政を執ったされる角刺宮を詠んだ歌で、たいそう立派な宮だったことが伺われます。角刺宮が在ったとされる場所に角刺神社は鎮座しており、神社の前にある鏡池は、忍海郎女・忍海飯豊青尊が毎朝鏡代わりに使った池と伝わります。
幻の女帝飯豊王を祀る神社第21代雄略天皇が皇位継承を脅かす皇族を次々と排除したせいで息子の第22代清寧天皇が子を残さず崩御した時に皇位継承者がいない!となった時にいわゆる“ツナギ”で政務を執ったのがこの飯豊王。飯豊王は雄略天皇に●された第17代履中天皇の子の妹、つまり履中天皇の娘第23代顕宗天皇と第24代仁賢天皇は甥にあたる古事記によると仁徳天皇から推古天皇まで19天皇を数えるとあるのですが、16代から33代なので18天皇でこの飯豊王を加えないと19にならないこれが幻の女帝とされる所以。
角刺神社さんの御由緒です。冊子やパンフレットは拝殿の脇の札差に並べてくださっておられます。
雄略天皇、清寧天皇の死去の後、後継者不在に陥り、播磨で2王子を発見する話がある。その時の混乱の間を埋めたのが飯豊皇女で飯豊天皇とされた記録もあり本当にミステリーな時代であった。又2王子の話も作り話だという説もある。真実はどこに・・・
名前 |
角刺神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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とても心に響く高次元。