聖観世音菩薩、安産の夢を。
産形山 泉増寺の特徴
産形山 泉増寺は気仙三十三観音霊場の第一番札所です。
弘法大師作の聖観世音菩薩がご本尊として祀られています。
宝永元年の安産祈願にまつわる由緒深い寺院です。
岩手三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。真言宗智山派のお寺で産形山泉蔵寺といい、霊場第十八番札所になり霊場御本尊は聖観世音菩薩になります。由緒によると弘法大師が諸国巡錫の際に当地を聖地と感じて、自ら阿弥陀・薬師・観世音の三尊にそれぞれ脇侍二体を付した合計九体の尊像を彫鋳し弘仁元年(810年)に祭祀して奉納したとされる。当時は「三次森大権現」と称し七堂の大伽藍をほこっていて、本坊医王山観音院・竹の坊・沢の坊・西の坊・東の坊の五ケ寺をもって一山の法灯を営んでいた。後に阿弥陀仏は月山社に薬師仏は諏訪社にそれぞれ本地仏として他に移り観世音一体のみがこの地に残りました。その後寺は衰微しますが伊達家第四代藩主伊達綱村公の時代に産形山聖観音の別当としての命を受けて、宝永ニ年(1705年)に現在の観音堂が創建され諏訪明神の別当寺であった千蔵寺を移し泉蔵寺と命名されました。歴代の伊達家の殿様の庇護を受けて安産の観音様として信仰を集めました、伊達家からは毎年金箔の下賜があり明治元年(1868年)まで続けられていました。
気仙三十三観音霊場 一番札所 真言宗智山派 聖観音菩薩。
宝永元年(一七〇四年)仙台藩藩主伊達綱村公夫人の出産前日不思議な夢を見て、無事安産を果たした。その時の夢にみた聖観音が本堂にある。諏訪明神の別当千蔵寺を移し泉増寺と命名された。明治まで伊達家より金一封の御下賜が続いた。
気仙観音霊場1路駐第二番札所、金剛寺、如意輪観音様、陸前高田市気仙町裏26
名前 |
産形山 泉増寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

岩手県陸前高田市気仙町に境内を構える、産形山 泉増寺、2023.11に気仙三十三観音霊場、岩手三十三観音霊場にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は産形山、寺号は泉増寺、宗旨 宗派は真言宗 智山派、ご本尊は弘法大師作と言われる、聖観世音菩薩、気仙三十三観音霊場、第一番札所、岩手三十三観音霊場、第十八番札所、今から約290年前の宝永元年(1704)藩主伊達陸奥守綱村公の夫人が身ごもられ領民あげて安産祈願の折、ある夜夫人は聖観音が優しく平産を見守る不思議な夢を見られた。はたして翌朝、玉のような御子を安産されたが、綱村公も同じ霊夢を感じられて(これぞ正しく菩薩の加護)と家臣に命じ領内にその所在を尋ねさせた、時の気仙郡大肝入松坂十兵衛が、当地にそれらしき観音を祀る旨を言上、本堂を開扉して霊夢と同一のご尊体であることに網村公大いに喜悦され、直ちに普門品三十三万巻の奉誦三間四面総朱塗の堂宇建立を命じ、諏訪明神の別当千蔵寺を移し、泉増寺と命名された。現在の観音堂は、この時に建造された物で、以来明治初年まで伊達家より例年金一封の御下腸が続けられている、聖観音の御本体は弘法大師の作といわれ、由緒書には「弘仁元年(820年) 大師諸国巡錫のみぎり、三次森(産形山の旧稱)を霊地と見給い、自ら弥陀、薬師、観音の三尊に各々脇佛二体を付した九体の尊像を彫鋳なされこの地に祭祠奉る。当時は三次森大権現と称し、五ヶ寺七堂の大伽藍をほこり、一山の法燈営んでいた、と記録されてある、歴史的建造物、仏閣、仏像、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、日本庭園、紅葉、関東八十八ヶ所霊場巡り、岩手県陸前高田市、観光、諸願成就祈願、癒し処、御朱印集め等好きな方是非訪れて見て下さい、