奈良のパワー巨石、古墳群探訪。
石光山古墳群の特徴
5世紀後葉から続く歴史的な古墳群です。
約100基に及ぶ古墳が確認されています。
宅地開発により消滅した古墳も多いです。
googleマップのとおりだと、公園の脇に到着。目の前に見えてる丘がそうなのだけど入り口はそこを回り込むとある。近所の方に古墳あります?ときいたらないといわれ(笑)写真の集会所?のようなところの脇に白い手すりつき階段があってここをのぼっていくとすぐです。調べると100基以上の古墳があったそうですが、何の説明看板もありません。石室の成れの果ての巨石がゴロゴロしてて探検気分を味わえます。石にも加工のあとがはっきりありました。飛鳥村の鬼の雪隠を思い浮かべました。
こんなところに...。目立たない場所に磐座めいたものや石室めいたものが静かに鎮座している。
龍宮ウミガメ石 和同開珎 副葬品 元明天皇奈良のミステリー&パワー巨石スポット✨
巨石ばかりの古墳群です。遺跡地図にはこの石光山に大量の古墳があるとのことですが、実際山中にあるのは古墳の石材とは思えないほど大きい石でした。私的には古墳群というより、自然祭祀の跡に見えました。
5世紀後葉に3基の前方後円墳と9基の円墳が築造され、7世紀中葉まで約100基の古墳が造られ続けた古墳群のようですが、半数以上の古墳が宅地開発の為、消滅してしまったようです。古墳群東側の集会所横の階段を登り、古墳群にアプローチしました。まず、目の前に現れた超巨石に啞然としました。この超巨石が石室石なのかはわからないですが、不自然に重ねられたような(偶然かも)感じが、なんじゃコリャでした。超巨石のすぐ北西側に石室が蓋石が無い状態でありますが、アチコチに転がっている巨石に、テコ跡がついていたり、不自然に穴が開いていたり、どれが蓋石なのか?なにが何だか…でも、面白い!巨石に人の手が加わった形跡を探すのに夢中になってしまって、時間を忘れてしまいました。どこに使用された石なのか?など想像したりできて楽しかったぁ。古墳群なのてすが、散策どころか、超巨石付近の散策で終わってしまいました。私自身では超巨石付近で★5の楽しさはありましたが、人それぞれですので。点在している墳丘は見れていないので★3で。またいこっ!ヤバいなぁ楽しすぎた…
御所市にある古墳群。石光山(せっこうざん)古墳群は、木棺を直接土中に埋葬する古墳が大多数を占め、横穴式石室の葛城山東側山麓にある古墳群とは様相が異なる。以下、葛城市Webページより。「石光山古墳群(御所市)は、5世紀後半から7世紀前半にかけて築かれた総数約100基からなる古墳群です。1972・73年(昭和47・48)におこなわれた発掘調査で、約半数の52基の古墳が調査されその内容が明らかになりました。 石光山古墳群では、木棺を直接土中に埋葬する木棺直葬とよばれる埋葬施設をもつ古墳が大多数をしめます。これは、横穴式石室を中心的な埋葬施設として採用する寺口忍海古墳群(葛城市寺口)や笛吹古墳群(葛城市笛吹)、山口千塚古墳群(葛城市山口)といった葛城山麓地域に展開する古墳群とは様相を異にするものです。そのほかにも、埴輪棺や土器棺、箱式石棺に竪穴系横口式石室、横穴式石室と多種多様な埋葬施設を採用しており、この古墳群のもつ個性となっています。 石光山古墳群は、忍海地域に位置しています。古墳群がつくりはじめられる時期を考えると、古墳時代中期以降発展をみるこの地域の様相を明らかにするうえで、重要な位置をしめていると考えられます。」
| 名前 |
石光山古墳群 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0745-60-1608 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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石光山古墳は、奈良県御所市の葛城山麓の古墳群で奈良県史跡名勝天然記念物。国の史跡にも指定されており、その歴史的価値が認められているとのことですが、付近に古墳が存在する事を示す案内パネルなどは見当たらず、私のカーナビにも出てきませんでした。古墳に向かう階段も道もこの先に古墳があると思えないような感じでした。小高い丘の上に、大きな石の古墳が固まって点在。丘を登って左側に小さなお不動様が祭られています。高い所に石棺の跡と思われる石室があり、一番高い所に小さなお社が祭られています。このお社はちゃんと人の手によって綺麗に祀られていました。古墳群自体のの詳細は、葛城山麓から東に伸びる小さな独立した丘陵上に位置する、約100基からなる大規模な群集墳だったようです。古墳群の西半分が宅地造成されたため、現在は東半分が残っています。丘陵の大きさ: 東西300m、南北150m(別の資料では南北200mとも記載されています)装飾品 勾玉、管玉、金環鉄製品 刀、鏃(やじり)、斧、鎌馬具 轡(くつわ)、鐙(あぶみ)、杏葉(ぎょうよう)その他 須恵器、埴輪出土した副葬品の特徴として、武器や武具が比較的少なく、鉄製の農工具が多いことから、近隣の古墳群(笛吹古墳群など)とは異なる性格を持ち、渡来系氏族との結びつきが弱いと考えられています。5世紀後半に3基の前方後円墳と9基の円墳が築造されたのが始まりです。6世紀中に多くの円墳が築造されました。その後も7世紀中頃過ぎまで細々と古墳が造り続けられました。5世紀後半から6世紀前半の木棺直葬が中心で、組合式木棺とともに、割竹形木棺も多く使われている。他にも小竪穴式石室、箱型石室、円筒埴輪棺など多種多様である。 横穴式石室(6世紀後半)も数基あります。発掘調査:1972年、1974年(橿原考古学研究所)最後に社を参拝し、石棺を前に、思わず般若心経を唱えさせていただきました。