源頼朝の墓、静かな森で。
法華堂跡(源頼朝墓)の特徴
鶴岡八幡宮から500mほどの距離にあり、アクセスが良好です。
江戸時代に島津家が整備した歴史ある場所ですが、少し質素な印象です。
源頼朝の墓の側には北条義時や三浦一族の墓も存在し、歴史を感じるスポットです。
源頼朝は鎌倉の街を見下ろす山に眠っていました階段は少し急ですがそんなに段数は多くない。
大蔵幕府跡の石碑が北にまっすぐ歩くとすぐにあります。休日昼間でも人が全然いなくてひっそりとしてました。
源頼朝の墓。将軍のお墓にしては質素ですね。これは1779年に薩摩藩の島津重豪によって整備され、島津家は源氏の正統な末裔であるとアピールし、家格を高めるためだったといわれています。『 源頼朝は、治承四年(1180)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(1185)に平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて武家政治の基礎を築きました。正治元年(1199)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重家が整備したものとされます。』
令和7年11月14日に鶴岡八幡宮へ参拝する前に訪れました。平家を滅亡し鎌倉幕府を開いた頼朝公に尊崇の念をいだき、鎌倉巡りの計画に入れました。源頼朝は、治承四年(一一八〇)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(一一八五)にに平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪の下三丁目付近)開いて武家政治の基礎を築きました。正治(しょうじ)元年(一一九九)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂(ほっけどう)に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたがこの丘の上一帯がその跡です。現在経っている塔は、後に島津藩主・島津重豪(しげひで)が整備したものとされます。堂はもと頼朝の持仏を祀れる所にして頼朝の死後其の廊所となる建保五年五月和田義盛死して火を幕府に放てる時将軍実朝の難を避けたるは此の処なり。寛治元年六月五日三浦泰村此に籠りて北条の軍を邀え刀折れ矢盡きて一族郎党五百余人と偕に自尽し満庭朱毅に染めし処とす対象十三年三月建 鎌倉町青年団。
源頼朝の切ないお墓。駐車場はありませんので近くの有料パーキング。頼朝の墓は五層の石塔となっており、もともとは五輪の小さな墓であったものを、安永8年(1779年)に、薩摩藩主・島津重豪(しまづ しげひで)が再建立しました。 源氏の家紋である「笹竜胆(ささりんどう)」の他に、円の中に十の文字を入れた「轡十文字(くつわじゅうもんじ)」と呼ばれる薩摩島津家の家紋が刻まれているのは、そのためです。
マイナスイオンいっぱいの場所です。多分、近所の方が毎日お掃除されているようで、管理されている方がいないのに綺麗でした。すぐ近くに北条義時の墓があります。坂が急でそこそこ遠いので、気分が乗ったら、ぜひ行ってください。いい運動になります。
2025年9月21日午前訪問鎌倉市、鶴岡八幡宮の北東の山すそにあるお墓当日は鎌倉を自転車出回っており鶴岡八幡宮を参拝してこちらへ金沢街道から住宅地に入り山すそへ着くと入口があり脇には白旗神社がありお参りして石段を上りお墓へお墓は法華堂の跡地にあるそうで周りは森で五輪塔がありお参りしやしたちょうど清掃してるボランティアの方?がおりあたりは綺麗に整備されてたなあ鎌倉に幕府を開いた源頼朝の墓にしては質素なのかもしれないけど歴史や質実剛健さを感じさせるええ佇まいやったさあ。
今は形が無い法華堂は、頼朝が自身の持仏堂として1192年に建立したとされています。持仏堂とは、個人が信仰する仏像を安置するお堂のことで、頼朝は、この法華堂で日々の信仰に励んでいたそうです。1199年、源頼朝は落馬が原因で急逝しました。享年53歳。彼の遺体は、生前に深く帰依していた阿弥陀如来を安置していたこの法華堂に埋葬されたようです。
鶴岡八幡宮から徒歩15分くらいの丘の上にポツンとあります。当時は頼朝を祀る法華堂があったそうですが今は廃絶しており、お墓があるのみです。武家政権を築いた将軍にしては死因も落馬だし、何とも寂しい限りです。ちなみに平日午前中でしたが、観光客は誰もいませんでした。清掃をされていた地元住民の方がご親切に声を掛けて下さり、色々とご説明して頂き有り難かったです。熱弁の余りお話が長いのは玉に瑕ではありましたが。
| 名前 |
法華堂跡(源頼朝墓) |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0467-61-3857 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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2024年5月3日、2025年5月4日に訪問。鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝の墓所で、住宅街の裏にある階段を登った先にあります。今の墓所は江戸時代の1779年に薩摩藩主・島津重豪が整備したものであり、島津氏の祖である島津忠久(惟宗忠久)が源頼朝の御落胤(隠し子)であるとする伝承が信じられていたかららしいです。(現在ではその伝承は否定されている。)同じ初代征夷大将軍でも徳川家康を祀る日光東照宮とは違いこじんまりとした印象を受けました。