復元された物集女車塚古墳の魅力。
物集女車塚古墳の特徴
物集女車塚古墳は、6世紀中頃の前方後円墳です。
羨道の終わりに入れる石室公開が魅力的です。
二上山産の家形石棺が残る貴重な史跡です。
6世紀中頃の前方後円墳で、現在は緑地公園として整備されている。石棺内からは多数の副葬品が出土し、その内容や墳丘の形態、埴輪の特徴から北陸から出た継体天皇の関係者ではとの推測もあるらしい。
物集女街道の横に位置するなんとも存在感のデカい古墳。古墳時代後期(6世紀中頃)に作られた前方後円墳であるという。注目されている点として写真にあるように現在も機能する排水溝等がある。また江戸時代後期の調査では淳和天皇の御陵の候補とされ(現在参考地は移されている)、その際に植えられた杉の木10本のうち、1本が今でも現存している(昭和10年頃の杉)。構造は畿内型横穴式石室であり、整備された内部は保存状態が良いため毎年一般公開される。また陵周辺は区画整備されているため、ゆっくりと見学することが出来る。
◽アクセス①阪急京都線 「東向日駅」︰徒歩◽物集女車塚古墳データ▪所属 ︰乙訓古墳群▪形状 ︰前方後円墳▪規模 ︰全長約45m. 後円部径31m・高さ9m. 前方部幅38m・高さ8m▪墳丘 ︰2段築成、葺石・埴輪▪築造時期︰6世紀中葉▪埋葬施設︰片袖型横穴式石室で全長約11m. 室内に組合式家形石棺. 玄室部 長約5.1m・幅約2.8m・高約3m. 羨道部 長約5.8m・幅約1.5m・高約2m. 床面下部 排水施設を備える▪被葬者 ︰▪出土品 ︰玉類、武器、馬具、土師器. 須恵器など▪発掘調査︰▪史跡指定︰府史跡 1984(S59)年. 国史跡(乙訓古墳群) 2016(H28)年◽雑記▪訪問時、墳丘が軟弱になっているのか. 一時的にか墳丘への立ち入りは禁止に. なっていました。▪コンパクトですが、整備が行き届いた. きれいな古墳公園となっています。▪毎年春には横穴式石室の一般公開が行わ. れているとのことです。◽次回の散策▪古墳しばりを外し、「長岡京の史跡散策」. をしてみようかと!◽散策コース▪️ほとんどの案内書・説明書では、「物集女車塚古墳」をスタート地点に設定していますが、それだと登り坂散策コースになってしまうので(寺戸大塚古墳から物集女車塚古墳へは下り道になるので終盤が楽でした)逆コースを選択▪️往路:阪急京都線/西向日駅下車▪️復路:阪急京都線/東向日駅→梅田駅①朝堂院公園(計画が杜撰で予定になく偶然に)②元稲荷古墳 ③五塚原古墳④寺戸大塚古墳 ⑤物集女車塚古墳。
町の中にしっかり存在感のある古墳。
何もありませんが、復元され現在でも機能している雨樋の遺構が興味深かったです。
物集女街道沿いの住宅街にあり、大変綺麗に整備保存されています。古墳時代(後期)の前方後円墳です。
公園のようになっており、憩いの場所という感じ。元の排水機能が現在もはたらいているのが興味深い。
古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳です。淳和天皇(840年没)の棺を運んだ車を納めた地という伝承が、「車塚」の名の由来とされています。全長約46メートル、後円部が直径約24から32メートル、高さ9メートル、前方部が長さ約18から23メートル、幅約39メートル、高さ約8メートルです。後円部、前方部とも二段築成で、墳丘にはごく一部に葺石が施され、埴輪が並べられていました。埋葬施設は「畿内型」の「横穴式石室」と呼ばれ、整備して形がきれいに残っていることから、毎年、内部が一般公開されています。石室奥壁に沿って置かれた石棺は「組合せ式家型石棺」と呼ばれ、大阪府と奈良県の境にある生駒山系の二上山で採石された凝灰岩製の板材を組み合わせてつくられています。蓋や底の石にある出っ張りは縄掛突起と呼ばれ、重い石に縄をかけて運んだと考えられています。石室の構造や副葬品(馬具、ガラス製の装飾品、金属製の冠の断片、武器、土器等)から、埋葬者は6世紀前半に弟国宮をつくった継体大王と所縁が深い人物と考えられています。
ポケモンgoのジムになってます。最近でかい木がなくなって、スッキリしました。参加したことはないですが定期的に古墳の内部公開があるようです。
名前 |
物集女車塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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石室一般公開に行きましたふだんは施錠されている横穴式石室の羨道の終わりまで入れました崩れていた羨道は近年の解体復元で小さな石にも印をつけ同じ場所に積み直しているそうです玄室にはほとんど手を加えていないため一般の立ち入りはできないとのこと羨道・玄室とも石は小ぶりですが丁寧に積んである印象ですゴロッとした石の間に平たい石が挟んでありこちらはわざわざ和歌山から運んだ結晶片岩とのこと玄室奥にある組合わせ式の家形石棺は二上山産の凝灰岩で作られており底板と蓋の縄掛け突起まできれいに残っていますこんな完全に残る組合せ式石棺を前方後円墳の中で見学できるなんて本当に珍しい古墳だと思いますとても丁寧に説明していただき大変勉強になりました。