松尾芭蕉の花が咲く、あぶくま川の岸辺。
芭蕉句碑須賀川可伸庵跡の特徴
松尾芭蕉の句碑があり、歴史を感じる場所です。
奥の細道の紀行文を通じて文化体験ができます。
福島県内の自然と文学が融合した素晴らしいスポットです。
芭蕉の句碑って、福島県内にどれだけ在るのでしょうね?下記はここの由緒書です。可伸庵跡元禄2年(1689)4月22日(陽暦6月9日)、松尾芭蕉と門人の河合曽良は、おくのほそ道の旅の途中で、旧知の仲にあった相楽等躬を訪ねました。須賀川には八日間滞在し、近隣の寺社仏閣を訪れ、また地元の俳人たちとの俳諧を楽しみました。可伸庵跡は、等躬の屋敷の一隅に隠棲した僧・可伸 (栗斎) 庵跡です。『おくのほそ道』では、芭蕉が可伸庵を訪ねて、「此宿の傍に、大きなる栗の木の木陰をたのみて、世をいとふ僧有」と書留めています。芭蕉は、可伸の閑寂な暮らしぶりに深く心をうたれ 「隠れ家や目だたぬ花を軒の栗」と発句を詠んでいます。 この句を受け、曾良と須賀川の俳人(等躬・栗斎・等雲・須竿・素蘭)で七吟歌仙を巻きました。のちにこの句は、「世の人の見付けぬ花や軒の栗」と推敲されています。「軒の栗」の句碑は、文政8年(1825)に須賀川の俳人石井雨考が建立しました。須賀川市。
13.須賀川【芭蕉自筆影印】①おくの細道紀行文兎角志て 越行まゝに あふくま川を王多類 左り尓會津根高く 右二岩城 相馬 箕張(三春)の庄 常陸 下野の地をさ可ひて 山つらなる 可け(陰)沼登云所を行尓 介ふハ空曇りて 物ゝ影うつら春 須可川の驛尓 等躬といふもの越多つ年て 四五日とゝめら流 先 白河の関 い可にこえつる尓やと問 長途のくるしミ 身心つ可禮 且ハ風景尓魂うハゝ禮 懐旧尓腸を断て 者可ゝゝ志う お无ひめくらさ春(兎角して、越行まゝに、あぶくま川をわたる。左りに会津根高く、右に岩城、相馬、箕張(三春)の庄、常陸、下野の地をさかひて、山つらなる。かげ(陰)沼と云所を行に、けふは空曇りて、物ゝ影うつらず。須か川の駅に、等躬といふものをたづねて、四五日とゞめらる。先、白河の関、いかにこえつるにやと問。長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかゞゝしう、おもひめぐらさず。)風流の初やおくの田植う多(風流の初やおくの田植うた)無下尓こえ無(句無で関こえる)もさす可に登語連ハ 脇 第三登つゝ遣て 一巻となしぬ この宿の傍尓 大キ成栗能木陰を 多のみ(たよりにし)て 世をいとふ僧有 橡ひろふ太山(西行)も可くや登 閒(シズカ)尓覚ら連て 无の耳書付侍ル其詞栗といふ文字盤栗の木と書て西方浄土爾便あ利と 行基菩薩の一生 杖爾も柱爾も 此木越用給(?)ふと可や(無下にこえむ(句無で関こえる)もさすがにと語れば、脇、第三とつゞけて、一巻となしぬ。この宿の傍に、大き成栗の木陰を、たのみ(たよりにし)て、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山(西行)もかくやと、閒(シズカ)に覚られて、ものに書付侍る。其詞栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩の、一生、杖にも柱にも、此木を用給(?)ふとかや)世の人能見付ぬ花や軒の栗(世の人の見付ぬ花や軒の栗)②「かくれがや」歌仙かく禮可やめ多ゝぬ花を軒の栗(かくれがやめだゝぬ花を軒の栗)【句碑】①十念寺須賀川市池上町101風流の者しめや奥乃田う盈唄(風流のはじめや奥の田うえ唄)②可伸庵跡須賀川市本町 市役所そば世能人乃美つけ怒花や軒能栗(世の人のみつけぬ花や軒の栗)【芭蕉像】①軒の栗公園可伸庵跡から大通りへ《施設・句碑拡大写真はgoogle検索「芭蕉句碑の解読」》
奥の細道紀行において、松尾芭蕉は「世の人の見付けぬ花や軒の栗」を詠んでいます。
名前 |
芭蕉句碑須賀川可伸庵跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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山深み 岩に垂るる 水溜めんかつがつ落つる 橡拾ふほど 西行世の人の 見付けぬ花や 軒の栗。