魚河岸水神社で祈る、大漁と繁栄の縁。
魚河岸水神社の特徴
魚河岸水神社は、徳川家康公と漁師たちによる大漁祈願の歴史があります。
神田明神内の末社であり、弥都波能売命を祀っています。
定期的な祭礼日は5月5日、特有の波を感じる静かな社です。
魚河岸商売の勢いを感じさせる神社です。
神田明神境内にある摂社。現在豊洲市場に集中する東京の魚河岸。以前は築地にありましたがさらにその前は日本橋にありました。江戸時代に日本橋の魚河岸が徳川将軍家の武運長久と大漁安全を祈願するために建てられた神社です。水神の扁額と真っ赤な社殿が印象的。
魚河岸水神社の歴史は古く、天正一八年(一五九〇) 徳川家康の入府とともに江戸へ移り住んだ日本橋魚市場の開祖、森孫右衛門が、徳川家の武運長久と子孫繁栄を祈り、併せて大漁安全を祈願するため、武蔵国豊 嶋郡柴崎村神田明神境内(今の千代田区大手町)に一社を建設し、祭神「彌都波能売命(ミズハノメノミコ ト)」を祀ったことにはじまるそうです。元文五年(一七三九) 八代将軍吉宗の時代には、魚問屋仲間により、社殿を新築再建し、神輿を修理して大祭を執行したという。しかし、明治初年社殿が頽破したため、明治六年(一八七三)から明治三三年(一九〇〇)までは、当時魚市場内にあった長浜町の常盤稲荷神社 に合祀されていた魚市場の関係者が旧来の姿に戻すべく努力され、明治三四年(一九〇一)に、神田明神境内に社殿を新築し、魚河岸水神社と社名を 変更し、日本橋魚市場の守護神としたという。
御祭神:\t弥都波能売命由来:魚河岸水神社は、天正18年(1590)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命」を祀った「大市場交易神」がはじまりです。明治34年に神田神社の境内に「水神社」本殿を建立し、遥拝所が市場内に建立されました。
神田明神の境内にある魚河岸の人たちが建てた神社です。元は日本橋にありましたが、神田明神に合祀されたそうです。
水神の神輿は20年ぶりらしい。今日の雨は水神様の祝福かな?
御本殿の横にある「魚河岸水神社」は神田神社境内にある末社で、ご祭神は弥都波能売命(みつはのめのみこと)、祭礼日は 5月5日です。神田明神のHPによれば『末社 魚河岸水神社祭神 水神、弥都波能売命(みつはのめのみこと)日本橋に魚市場があったころに徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため市場の守護神・大市場交易神として神田明神境内に祀られたが、明治6年(1873)9月に当時の魚市場内(日本橋長浜町2丁目4番地、現在の日本橋室町1丁目、本町1丁目周辺)に鎮座していた常磐稲荷神社の合殿に祀られた。明治24年(1891)に社名を魚河岸水神社と改め、更に明治34年(1901)9月、再び神田明神境内に遷座し末社として祀られ、盛大に水神祭が執り行われた。市場が日本橋より築地に移り築地魚市場(東京都中央卸売市場築地市場)に移転した後、市場内に当社の遙拝所が建立され、現在も築地魚河岸会の方々を中心に神事が執り行われている。』と書かれています。
神田明神内にある、小さな神社の一つです。こちらの方は、あまり参拝者はいらっしゃれないようですが、魚河岸というだけあって、海産物の大漁と徳川家武運長久を願って祀られていた神社のようです。
日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人により武蔵国豊嶋郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座されました。元和年間、神田神社と共に此の地に遷り、明治24年、魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されています。
| 名前 |
魚河岸水神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3254-0753 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.kandamyoujin.or.jp/info/keidai/detail.html?kid=27 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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神田明神の境内にありました。日本橋に魚河岸があった頃の守護神が始まりのようでした。