歴史感じる静寂の寛永寺。
寛永寺の特徴
江戸幕府の庇護を受けた由緒ある天台宗の寺院である。
根本中堂は立派な建物で、静寂の中で気持ちが清浄される。
御朱印は本堂内で丁寧に書き入れられるとの口コミが多い。
創建400周年記念で、2025.12〜根本中堂中陣特別公開しており天井絵「叡嶽双龍」が見られます。上野駅からだとトーハクの左、子供図書館の奥の方になります。鶯谷駅からだと大きな通り沿いで分かりやすいです。靴を脱いで箱に入っている袋に入れ、階段を上り右に行って500円納めます。ご本尊は秘仏ゆえ御前立しか見られませんが、他の仏像も立派です。歩き回って八方睨みの龍を体験してみて!(撮影禁止)
日光東照宮・増上寺と並ぶ徳川将軍家の霊廟が寛永寺。開山の天海僧正以後輪王寺宮が貫主となり代々寛永寺・輪王寺・延暦寺の三山を管轄した。かつては上野山全体が境内であり上野東照宮・清水観音堂・開山堂はじめ無数の伽藍を誇った。廃仏毀釈と徳川幕府崩壊の結果本坊のあった場所に国立博物館が建てられるなど公園化が進んだことにより寺院の境内としてはチグハグな印象となってしまっている。殊に寛永寺根本中堂は上野公園の外なので訪れる人も疎らである。本堂から見て南東の寛永寺霊園には徳川綱吉・徳川吉宗らの霊廟があるが通常非公開。綱吉霊廟の常憲院勅額門と家綱霊廟の厳有院勅額門のみ見学可能。
JR鶯谷駅北口から、緩やかな坂の寛永寺橋を登り右手に谷中墓地を通り過ぎ、左手に寛永寺幼稚園。その奥に根本中堂があります。4日前に通り過ぎた時は、土曜日。沢山の方々が拝観されてました。私は、時間の都合でうかがうことができませんでした。今日は平日だった為か混雑はしていません。本日は、本堂も拝観させていただきました。本堂天井板には叡嶽双龍が描かれてます。400年程前の天井板に、阿吽の龍が絡み合ったお姿の墨絵を拝観しました。畳に座ったり、立ち姿等、自由に場所を変えてゆっくり拝観することができます。撮影は禁止されてました。八方にらみということで、お堂の何処から天井絵を眺めても、龍と目が合いました!阿龍の手には、故浦井正明寺貫首の書いた梵字が、ラピスラズリで描かれてました。天井板の木目も分かりました。生きて存在されていらっしゃるような、天井板絵の阿吽の龍〜これからも末永く、わたし達を見守ってくださることを希望します。ありがとうございました。
天井絵につられ釣られて初めて伺いました。何度も上野公園に行ってたのに…そんな人も多いかも。本堂内は500円の拝観料で、撮影禁止なのですが、天井絵はもちろんのこと、ご本尊も素敵でした。
参拝に少し並びました。係の方の話ではかなり混む時との差がある様でした。とはいえ、境内の木々や立派な本堂の写真を撮ったりしている間に順番が来ました。写真撮影は禁止でしたが、期間限定公開の天井の龍の絵が立派でした。躍動感があり、見とれてしまいました。御朱印も何種類かあり、今回は写真のものを受けました。ふわふわのキツネの絵と秋らしい色合いが素敵です。
2025.10.12上野公園を中心とした境内を持つお寺根本中堂が本堂御朱印は、帳面に書き入れていただけます秋の切り絵御朱印が、とてもカラフルで素晴らしいです入山料 無し御朱印 有り(直書き)
上野寛永寺に来たのは何十年ぶりとあり、誕生日の参拝として来れた際身が引き締まる物が感じられました。開山にはあの天海和尚が尽力して、大正時代には東郷平八郎元帥が奉納した額も本堂で見られます。
天気が良かったので、足を伸ばして上野東照宮と寛永寺に行って来ました。
寛永寺:江戸幕府の庇護を受けた由緒ある寺院寛永寺は、徳川家光によって創建された天台宗の寺院です。江戸城の鬼門にあたる上野に位置し、「東の比叡山」と称されました。江戸幕府は、寛永寺を国宝寺と定め、庇護しました。天海大僧正が寺務を司り、幕府の宗教政策の中心的な役割を果たしました。寛永寺は、幕府の権威を示す象徴的な存在であり、多くの寺社を傘下に収め、江戸の文化・宗教の中心地として栄えました。境内には、本堂、五重塔、清水観音堂など、多くの堂宇が立ち並び、見事な庭園も整備されていました。特に、清水観音堂は京都の清水寺を模して建てられ、江戸の人々に親しまれていました。しかし、明治維新後、神仏分離令により衰退し、明治維新末期には上野戦争で大きな被害を受けました。現在は、かつての面影を残しつつ、静かに佇んでいます。
| 名前 |
寛永寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
03-3821-4440 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
本堂に上がり参拝しました。双龍の天井画は素晴らしい❗御本尊様に手を合わせ、「健康祈願」をして来ました🙏