思い出の母校で、人生の基礎。
日本写真芸術専門学校の特徴
同じ建物に姉妹校があり、交流しやすい環境です。
2014年卒業生からの口コミが多く、思い出が詰まっています。
入り口の工事に注意が必要ですが、内装が綺麗になりました。
中止になった郊外学習費を返却申請したのに 半年以上も返金されない、メールの返信もない、どう言う事でしょか?
懐かしい… みんな元気してるかなぁ♪ 10代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる〜 若さはいつも素っ裸 見苦しい程一人ぼっち ♪song by フラワーカンパニーズ#深夜高速ここに通っている頃にクラス女子の人気投票1位が自分だった と同窓会でちら聴きしたときにはびっくりでしたw当時はな〜んにもなかったけどねー。
母校の姉妹校で、同じ建物の中にある専門学校です。写真も好きだったので、先生と仲良くなっていろいろ教わりました。実際に活躍している卒業生も多く、目標の背中に出会うことができます。教務課の先生にもいろいろ教わりました。
2014年卒業いい出会いがたくさんあり、大変有意義な時間を過ごせました。
代官山方面から徒歩で向かいましたが、今、工事をしていて入り口を見落としました。渋谷方面からだと分かりやすいかも知れません。セブンイレブンの隣だと分かっていれば大丈夫かも。線路沿いなのに建物の中に入ると静寂に包まれていて、写真を飾るに相応しい白い壁がきれいです。
以前とは比べ物にならないくらい内装が綺麗になりました。
入学しない方が良い。
ゴミ学校 スタッフたち傲慢すぎじゃない? 特にその名前は緑のスタッフ、俺たちは一年間140万円をこのゴミ学校に支払ってお前らはそんなに傲慢するんですか?
| 名前 |
日本写真芸術専門学校 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3770-5585 |
| 営業時間 |
[水木金月火] 9:30~20:30 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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日本写真芸術専門学校1999年3月卒業生 豊里友行今はこの制度は活用できないみたいですが当時は新聞奨学生の制度があり軍資金のない私でも一念発起して写真家の基礎を学べました。写真家を旗揚げしたのは1995年4月からで2025年で写真家人生30年目でした。今になって思えば、写真学生として20歳から22歳くらいに写真の基礎を学んでおいて伸び悩みもなくこつこつたんたんと写真家できています。それは、私の写真家としての見えない努力があってのことではありますがゼミの先生や写真学校の仲間たちと写真学生時代に人生交差点で繋がれたことが大いに励みになっています。課題もプロの写真家として必死で喰らい付いて撮影していましたが、プロの写真家やカメラマンを育成するためのハードな課題でした(当時の写真作品を豊里友行写真集『東京ベクトル』で閲覧できます。ぜひ!)。ですが学び舎の先生たちや学生仲間と課題をひとつひとつ乗り越えたあの時期の経験は、今でも大切な私の写真財産です。1999年3月の卒業を控えて当時の校長先生だった故・秋山庄太郎先生が、「写真を続けるのは大変だけれども写真によって得れる出会いの財産はかけがえのないものです。」と卒業生みんなに言葉の花束を贈られました。まだアラジン(当時、校長先生の出演されたテレビCM)の言葉の意味は、よく理解できているか心許ないですが、写真学校で得た「写真が好き」は、今でも初心の沖縄で大切な出会いの財産を撮り続ける原動力になっています。追記 ちなみに私は、写真学生2年次に樋口健二ゼミを受けて1999年3月に卒業しました。当時の東京での修行時代に撮影された写真で豊里友行写真集『東京ベクトル』(2008年刊、沖縄書房)を刊行しました。樋口健二ゼミの課題など当時の東京風貌を垣間見れます。日本写真芸術専門学校図書室や東京都写真美術館図書室、国立国会図書館などに献本してありますのでもし蔵書にありましたら閲覧してみてください。私は、学生でも写真家の自負を持って撮影をしていました。特にあの頃の私の学生時代の勢いは、今の私にとって永遠のライバルだと思いながら写真家活動に励んでいます。ぜひ。学生諸君も写真活動に切磋琢磨してください。