川崎の昔話に学ぶ、心に響く物語。
「夜光町の由来」看板の特徴
川崎の昔話に基づく由来が深い歴史を感じさせます。
漁師の娘と父親の悲しい物語に魅せられる場所です。
地名の由来を学べる貴重な史跡に訪れましょう。
勉強になりました。車や大型トラックの交通量が多い道路沿いにあります。ベンチなどもないので看板を読んだら終わりです。近くにバス停とコンビニはあります。
この由来看板は、伝説を後世に伝えようと1981年(昭和56年)、川崎市観光協会と夜光町町内会(現在は解散)、日本石油化学(現・JX日鉱日石エネルギー)が案内板を設置。案内板の隣に立てた木製の碑が腐食により傾いていたため、2012年に案内板とともに撤去したが、大開帳奉修の年でもある今年に合わせ、平間寺と川崎大師観光協会が再建した。新案内板は、建て替え前とほぼ変わらず高さ約3m、幅約2・6m。碑は腐食しないよう、根元をコンクリートで固めた。設置場所は国道132号線に面した歩道沿いにあります。「夜光」の町名は、川崎大師平間寺発祥の伝説と深く結びついています。平安時代、漁師として川崎に暮らしていた同寺の祖・平間兼乗は、夢の中で高僧の声を聞き、らんらんと光る夜の海から高僧の彫った弘法大師像を引き上げたといいます。兼乗は像を「厄除弘法大師」として祀り、平間寺を建立。像の上がった海の周辺は「夜光島」として呼び伝えられ、現在の町名につながっています。「大師発祥に関わる『夜光』の伝説は、川崎の歴史の大きな一コマなのでこれを後世に伝えていくことが大事な事だと言う事で看板が設置されました。
なんでここにピンが立つのかわからない。
川崎の工業地帯の中に、「夜光」という地区がある。なんでそんな地名なのかと思っていたら、川崎大師(平間寺)開基の由来と関係があった。この辺の浦に、夜明るく光っている場所があると里人が不思議がっていたが、霊夢を見た武士平間兼乗がそこに舟を出して網を打つと、弘法大師の尊像が引き上げられた、という話。信濃の善光寺などにも似たような由緒話がある。トラックやタンクローリーやバスがひっきり無しに行き交う道路の脇に、たぶん誰も注目しない、川崎大師観光協会による看板が立っていたので、GoogleMapで探す人もいないだろうけれど、載せてみました。JXTGエネルギー前というバス停のすぐそばだが、あえて訪ねていくところではないと言っておく。
川崎の工業地帯の中に、「夜光」という地区がある。なんでそんな地名なのかと思っていたら、川崎大師(平間寺)開基の由来と関係があった。この辺の浦に、夜明るく光っている場所があると里人が不思議がっていたが、霊夢を見た武士平間兼乗がそこに舟を出して網を打つと、弘法大師の尊像が引き上げられた、という話。信濃の善光寺などにも似たような由緒話がある。トラックやタンクローリーやバスがひっきり無しに行き交う道路の脇に、たぶん誰も注目しない、川崎大師観光協会による看板が立っていたので、GoogleMapで探す人もいないだろうけれど、載せてみました。JXTGエネルギー前というバス停のすぐそばだが、あえて訪ねていくところではないと言っておく。
名前 |
「夜光町の由来」看板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
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【川崎の昔話】によれば、昔漁師の娘が嵐の日に漁に出た父親を夜通し松明を点けて待っていたが、翌朝父娘ともに亡骸で見つかった物語が地名の由来と。