江戸時代の繁栄を学ぶ。
泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)の特徴
江戸時代に繁栄した食野家の歴史を学べる場所です。
手作りのカラクリおもちゃで子供たちが楽しめる体験ができます。
貴重な資料を借りられ、親切なガイドの説明が受けられます。
昔すぐ近くの府立高校に通っていたのだが、江戸時代に食野家という日本屈指の豪商がいたとは全く知らなかった。「飢饉の時には日本中の大名が食野家に借金を申し込む」「今の難波アメリカ村から船場あたりの一体の家屋敷はほぼ全て食野家所有だった」など枚挙に暇ない位のエピソード。資料館になってるのは食野家の事業のひとつである醤油作りの屋敷。本宅は近くの小学校あたりにあったそうだ。図面残されているがとんでもない広さ。資料館をただ自分で眺めるだけだと中身もよく分からず、「ただ見ただけ」で終わると思うので、ぜひガイドのおっちゃんに説明を受けて見学していってほしい。ガイドのおっちゃんは話上手。楽しみながら食野家について勉強する事ができた。
(2021年10月情報)「町屋館」というよりも、以下この界隈のコメントです江戸時代でトップクラスのお金持ち「食野家」は、この地を拠点として繁栄。ここ、旧新川家住宅(ふるさと町屋館)で頂戴した当時の長者番付によれば、なんと東の大関。当時は横綱がなかったので、お金持ちランキングNo.1ということか。ところが食野家は、江戸の三井越後屋(西の小結)、大阪の住友(東の前頭)・加嶋家(東の小結)のようにはいかず、当主の放蕩もあって、明治維新の大名貸しの借金棒引などをきっかけにすっかり没落。この辺りはもともと、大阪の「富田林」や奈良の「今井町」のような寺内町と違い、漁師町がそのまま発展したために、区画が複雑で、慣れていない人は完全な迷宮状態。現地でも「迷宮都市さの町場」と呼ばれているらしい。ガンバ大阪にいた食野亮太郎選手は、WIKIによると食野家の末裔らしい。確かに泉佐野出身だし、本当かもしれません。ちなみに「泉佐野」「泉大津」の地名は、みな他の地方が名称を正式登録する際に先に同名を使われてしまったために致し方なくアタマに「泉」とつけて登録。一方の「岸和田」や「貝塚」「高石」の場合は、先の登録がなかったのでそのまま使用。したがって「泉貝塚」とは言わないようです。なので地元の方は「いずみ」とつけず「佐野では」「大津では」と呼んでいました。
昔の町家の生活状況等がわかり、また、子供達が喜んで遊べる手作りのカラクリおもちゃもあり、楽しそうに過ごせたようです。
不便なところですが行く価値大有りです!建物に風情があり、売っている野菜や品物がビックリするくらい安い😲「なんでこんなに安いの?」って聞いたら「沢山の方々に来てほしいから🤗」だって😅「行くっきゃないね😉」
貴重な資料のコピーを頂けた。案内してくれた方のお話は面白くとても勉強になる。写真のからくりししおどしは近所の方が作ったものらしいが、その時の話題で新しくなるようです。
貴重な資料と、詳しくお話をしてくださるガイドの方がとても親切で素晴らしい時間でした!また、じっくり資料を見に来たいと思います!
とても、雰囲気のある場所でした。着物の着付け教室などをされたり、季節の行事もあるようです。お昼ごはんやお抹茶なども、料金を支払うといただけます。障子?みたいなのが、とてもみごたえがあります。
200円の入場料なのに、案内の人が付いてくれていろいろ教えてくれます。
案内の方が親切でした。
名前 |
泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-469-5673 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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モデルさんの撮影で訪れました。ボランティアさんが親切に分かりやすく説明して下さいました。想像していたよりは重厚感が少なめでした。