歴史息づく東昌寺、五輪塔と共に。
東昌寺の特徴
約650年前に北条高時一族が逃げ込んだ歴史あるお寺です。
身の丈約5メートルの丈六阿弥陀如来像が境内に祀られています。
国指定重要文化財の五輪塔があり、鎌倉時代の歴史を感じることができます。
ここは私の母の父と弟私の父が眠ってる場所です!17日に私父が仏様となりました。京急神武寺から歩いて10分位にある場所です。
今日(2023.02.18)は、京急神武寺駅から程近い東昌寺をご紹介させて頂きます今から約650年前、北条高時一族が鎌倉葛西ヶ谷の東勝寺に逃げ込み、寺を焼き、何百人もの一族が自害して鎌倉幕府は滅びましたこのときに信海和尚が本尊を火の中から救いだし、池子の郷に持ってきて東勝寺を再建した言い伝えがあります寛永14年(1637)に池子村が鎌倉扇ガ谷英勝寺の領地となった時、領主水戸家に遠慮して東昌寺としたといいます境内の阿弥陀堂には、丈六阿弥陀如来像(身の丈約5メートル)がありますこの像は、源実朝の死を悲しんで、母の北条政子が仏師運慶に阿弥陀如来像を彫らせたもので、当初は阿弥陀ヶ谷戸(県立逗子高校の奥)にお堂を建てて祀らせたという語り伝えがあります江戸時代に東昌寺に移されましたが、その後、阿弥陀堂は焼けて、運慶作の像も失われていましましたいま有るのは宝暦6年(1756)に再建されたものですまた、境内には鎌倉時代の乾元2年(1303)の銘をもつ五輪塔があり、年代と型式がはっきりした石塔として国の重要文化財に指定されています。
北条が新田軍に攻められ鎌倉幕府滅亡の舞台となったお寺。鎌倉、逗子、三浦などなど散策すればするほど歴史が好きになります🏯
神武寺駅から徒歩2〜3分の場所に建ちます。高野山真言宗のお寺さんで青龍山東昌寺です。池子地区唯一のお寺さんだそうです。立派な山門をくぐると、緑豊かな境内に美しい本堂がみえます。庭には、ちょっと一休みに最適な木陰のベンチなどもあります。
JR逗子駅から東急逗子線神武寺駅直側鎌倉幕府滅亡時の北条高時公腹切りやぐらの東勝寺から避難した住職信海開基水戸徳川家に配慮して東昌寺に改名二階堂行然の五輪塔あり、阿弥陀如来像は普段非公開米軍基地関係も近くにあり。
小ぢんまりしているお寺さんだけど、歴史はすごいですね。歴史の話しは他の方が書いてあるので割愛します。また綺麗に整備されています。お寺の前の道路は交通量が多いので十分気をつけて下さい。謂われの書いた案内板もしっかり有りました。嬉しいですね。お寺さんの歴史もわかります。ありがとうございます。
地区のとりしきりをされてる住職さんでした。
御住職のご丁寧な対応に感謝致します、もちろん 御朱印も頂きました、ありがとうございました。
逗子市池子にある寺院、真言宗である。鎌倉時代に創建。五輪塔、阿弥陀如来像という2つの国指定重要文化財がある。
名前 |
東昌寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
046-871-4575 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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青龍山東昌寺といい高野山真言宗のお寺になります。御本尊は大日如来で、境内の阿弥陀堂に丈六の阿弥陀如来像が安置されています。境内には国の重要文化財に指定されている五輪塔があります。鎌倉時代に北条泰時が鎌倉の西ケ谷に、執権家の菩提寺として青龍山東勝寺を建立したのがその始まりとされる。その後北条政子が北条実朝の菩提を弔うため阿弥陀如来像を奉安して祀った御堂が阿弥陀堂と称されていたといい北条氏の祈願寺となっていましたが、元弘三年(1333年)に新田義貞率いる軍勢との戦いで北条氏が敗れて東勝寺で一族郎党と自害し寺も共に焼失し滅亡した為に阿弥陀堂が東勝寺の名跡を引き継いだといい、当時の東勝寺の住職の信海和尚は御本尊の大日如来を救い出し北条氏の菩提を弔うため池子の地に東勝寺を再建したといいます。明治維新まで池子神明社など池子地内の社等の別当を勤めていました。