有鹿神社の境内に佇む小さな神社。
神武社の特徴
神武社は有鹿神社の飛地境内に鎮座する摂社です。
小さな神社として地域に根ざした存在感があります。
有鹿神社との関係が深い神社で歴史的意義を持っています。
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有鹿神社と関係のある神社のようです。
小さな神社。明治以前は石神社で、この辺りを蛇口森といったそうです。
名前 |
神武社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
046-234-4763 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.6 |
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神武社は、有鹿神社の飛地境内に鎮座する摂社です。しかし、この神社の鳥居や社殿は、上郷の三王三柱神社と異なり、有鹿神社の方を向いていません。なぜでしょうか。この神社の詳細については、「有鹿神社」にお問い合わせください。明治の末頃、河原口の人々が日露戦争の戦勝祈願を祈り、この処に集まり、橿原神宮に向かって遥拝をしました。その後、この故事を記念して「神武天皇」と彫った石碑が建立され、やがて小さいながらも覆い殿が葺れました。この石碑を御神体とみて人々がお参りしたので、神武社といわれるようになりました。現在では、河原口の鎮守社です。毎年、桜の花の咲く、4月4日、例大祭が斎行されます。新編相模風土記によると、江戸の頃、河原口には「石神社」が祀られています。この地は桑畑だったと伝えられています。この中に「おしゃもじ様」ともいわれる石の祠が鎮座していました。風邪の神様で、お供えされている「しゃもじ」で喉を撫ぜて治ったら新しい「しゃもじ」を奉納します。この境内には、 神明社、天神社、熊野社、大六天社、石神社の石祠が祀られています。これらの社は、江戸の頃まで河原口の各所に鎮座していたものです。明治の一村一社政策によって、有鹿神社に合祀されました。ところが、河原口に伝染病が流行り、河原口に戻りたいという神様の夢のお告げによって、現在、この地に祀られています。