春の小川が語る渋谷の歴史。
春の小川記念碑の特徴
小田急線沿いの暗渠跡に春の小川歌碑が静かに建立されています。
代々木八幡駅から歩きやすく、線路沿いの遊歩道からロマンスカーを眺められます。
高野辰幸作詞の春の小川の歌詞が刻まれ、かつての小川の流れを今に伝えています。
小川は暗渠になって、 くねっとした側道のようになっています。後ろは線路です。2025年5月丁度春 暖かいのどかな日です。子供の頃に覚えた季節の歌近くのカフェに人もいるので心の中で歌を口ずさみました。フレーズを知っている人は、少なくなっているのかも知れません公園内には 役所広司さん主演の映画Perfect Daysのシーンでも出てきた 渋谷区のデザイナーズ トイレがあります。
昔、河骨川(こうほねがわ)が流れていたそうですが、現在は暗渠となり、その姿を見ることができません。春の小川記念碑は小田急線沿いにあり、その向かいにある公園は、ダウンタウンさんの番組で使われたことがあります。「板尾が見ていた」シリーズの、ベランダで板尾創路さんが立っていたマンションは、今でも公園の隣にあります。
小田急線沿いにあまり目立ちませんが石碑が建立されています。すぐ横を小田急線が通るまさに線路ぎわです。ここから南下すると暗渠となった河骨川の上を歩くことができます。
代々木公園からほど近く、また代々木八幡駅から訪れる場合は電柱の案内にしたがって小田急線沿い北上してゆくと迷うことはありません。その経路は、ちょうど河骨(こうほね)川の暗渠です。この河骨川こそ、春の小川のモデルになったと言われている小川で、南下して渋谷駅北側付近で渋谷川に注ぎ込みます。記念碑に刻まれている歌詞は、オリジナルの文語調のままです。素朴ですが美しくて生命力あふれる詩です。歌詞の「れんげ」は、ハス(蓮華)ではなくレンゲソウ(ゲンゲ)を指すのですね(汗)
河骨川の暗渠にある春の小川の歌碑です。国文学者の高野辰之は明治42年(1909)から代々木山谷(現在の代々木3丁目)に住み、このあたりの風景を愛して、しばしば畔を散策していました。(辰之出身の長野県中野市の情景を思い浮かべて作詞したとの説もあります)現在、小学校唱歌として教えられる「春の小川は、さらさら行くよ〜」とは歌詞が異なりますが、これは昭和17年(1942)、国民学校への教科書の掲載時に林柳波が口語体へ改めたもので、更に戦後の昭和22年(1947)に部分修正されているそうです。
かつての小川の流れが埋め立てられ遊歩道になっています小田急の線路端でもあるこの遊歩道からロマンスカー等の列車の行き来を眺めれば旅気分満喫です。
春の小川はさらさら流れるから始まる高野辰幸作詞の歌が刻まれています。
あの歌の春の小川のモデルになっていますが、今は暗渠になっていて姿を見ることが出来ません。渋谷川の上流になるのですが昔はこの辺りも歌のように田園が広がっていたようです。
いわゆる代々木小公園の西側の小田急線に面した側道にあります。春の小川はそのしたに暗渠になっていて見えませんが、南に向かい富ヶ谷から本店通りにそってセンター街から渋谷駅にいたり渋谷川に注ぎます。碑は説明書きと歌碑の2枚です。代々木八幡神社の裏口の坂を下り、小田急線踏み切りを渡り左折するとすぐ見つかります。
| 名前 |
春の小川記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/bunka/spot/meisho/meisho.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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唱歌「春の小川」、その舞台は渋谷にあった。代々木八幡駅から小田急線に沿って歩いていく。代々木公園の西側に記念碑がある。かつてこの辺りは河骨川(こおほねがわ)が流れていてた。今は暗渠になって当時の面影はない。春の小川は高野辰之が作詞し岡野貞一が作曲して1912年(大正元年)に発表された唱歌である。以来多くの人に歌われ続けた。当時高野辰之はこの近くに住まいがありよく散歩に訪れていたという。高野辰之、岡野貞一のコンビの作品には「故郷」「朧月夜」「もみじ」などがある。記念碑には歌詞の一番が刻まれている。その歌詞は最初にかかれた歌詞で今歌われている歌詞とは若干違っていることに気づく。この記念碑はこの付近の様子を後世に伝えるために地元の篤志家が建て渋谷区に寄贈されたとある。記念碑の前を歩く人が時折足を止めてながめている。満開を過ぎた桜の花びらが舞い、小田急線の電車が通り過ぎる春の光景があった。この後高野辰之の旧居跡のある代々木の方に向かった。