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下青鳥天神社(しもおおどりてんじんしゃ)御祭神 菅原道真公境内社 鳥居の左側(地蔵・馬頭観世音石柱、庚申塔、双体道祖神) 社殿左後方(三峯神社石祠、辨財天石祠)由緒下青鳥村 天神社 村の鎮守にて 花蔵院の持(「新編武蔵風土記稿」参照)下青鳥の下郷の地は、都幾川流域の低地と自然堤防に位置しています。古くから川の氾濫に脅かされてきた所で、その被害を避けるために氏子集落は自然堤防上にあります。口碑によると、当神社は初め都幾川沿いの低地に祀られていましたが、水害の多い所であったため、元文二年(1737)下青鳥が上下の二郷に分かれたのを機に自然堤防上の今の地に移されたといわれています。ちなみに、旧社地と伝わる辺りには、天神面・天神裏などの地名が残されています。「明細帳」では、当神社の創建を元文二年(1737)四月十日のことと記していますが、別当であった花蔵院跡に残る法印墓石に、寛文九年(1669)・元禄七年(1694)などの年紀が刻まれていることから、口碑に伝えるように元文二年を移転の時期と解するのが妥当と思われます。「風土記稿」は「天神社 村の鎮守にて、花蔵院の持」と載せ、更に花蔵院については「村内の浄光寺の門徒、薬王山万松寺と号す、本尊薬師を安ぜり」とあります。花蔵院は明治初年に無住となり、以後、本尊の薬師如来を安置する堂が残されていましたが、平成二年(1990)に同地に社務所が建設されたのを機に、薬師如来はその一画に移されています。本殿には、彩色の施された天満天神座像(全高52.5cm)が安置されています。(「埼玉の神社」参照)下青鳥天神社から東に120m離れたところにある下青鳥会館が、下青鳥天神社の別当を勤めていた花蔵院のあった場所です。