今井町の歴史を感じる、重要文化財。
浄土真宗本願寺派 稱念寺(今井御坊)の特徴
浄土真宗本願寺派の寺院で、明治天皇の石碑が存在する歴史ある場所です。
今井町の中心に位置し、重要文化財としての寺内町の発展を感じることができます。
落ち着いた雰囲気の中で、祖先が眠るお墓もある心温まる空間です。
お寺の前を通っただけですが、凄く大きく立派でした😌
浄土真宗のお寺、明治天皇の石碑が歴史を感じます、町並みに融合してます。
今井町の古い景色のひとつの支えになる存在でしょうか。参拝時はとくにイベントがある時期でなかったからか、とくに何もありませんでした。ある面、この飾らないのが良いのかも知れません。
街の雰囲気を守るのに一役買っている様子、明治天皇もお越しになられたそうです。
江戸時代の町並み・今井町の中心的存在で、寺内町としての発展を感じられる。最近、改築工事を終え覆いなしの本堂がみられる。重要文化財指定の中橋家・豊田家・今西家がすぐそばにあり、伝・織田信長本陣跡や復元された環濠など見どころが多彩にある。
橿原市今井町の寺内町御堂筋の中心部にある浄土真宗本願寺派の寺です。明治10年明治天皇が行幸され宿泊されたが西南戦争の勃発で慌ただしく帰られた。由緒書きより⤵️今井町は十六世紀中頃には、本願寺の一家衆、 今井兵部豊寿によって、武装宗教都市「寺内町」 が形成されていたとみられる。 当寺は、天正年間、本願寺第十一世顕如上人により寺号を得て、今井兵部富綱を開基として 建立したと伝え、寺内町今井の中核として発展し、 大和五ヶ所御坊、十六大坊の妻として中本山に 列する寺である。当寺は代々、今井氏が世襲して兵部と号し、 武士と僧侶をかね、信長・秀吉・家康に仕える 中でも、特に秀吉の庇護は厚かったが、江戸時代 に入り、寺内町の存続をきらった幕府は、延宝 七年(一六七九)今井氏は武士 を返上し釈門に専念することとなり現在に至る。 本堂は、桁行二十米 梁間二十米、入母屋造、 本瓦葺、向拝付、東向の大規模な建物で、重要 文化財に指定されているが、他の建物も多く寺観 を構成している。本堂は、真宗寺院の典型的な平面を有し、 部分的な改修はあるが、当初の形態を よく留めている建物である。 南側の細長い庫裏は、旧は二列で明治十年に北側一列を増築している。 客殿は庫裏の西側に接続し、折れ曲って書院 がある。庫裏・家殿は、後世 初期頃の建物とみられ もつ貴重な建物といえる。山門は多武峯より移築されたので、太鼓楼は弘化二年 (一八四五)建設の建物である。以上。
【今井町攻め、明智光秀、筒井順慶、津田宗久、一向一揆、織田軍に関連あり】今井町の中心寺院である称念寺に今井惣中宛書状(橿原市指定文化財)として残されています。
壊れかけていたのに、屋根も綺麗でした。後3年で完成らしい。楽しみにしています。
明治天皇陛下は 当時の国鉄畝傍駅での乗降にて 此方を宿とし 畝傍御陵. 橿原神宮に詣られた様です。
名前 |
浄土真宗本願寺派 稱念寺(今井御坊) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-22-5509 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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中学校で写生の時のモチーフとしてここを選びました。門構えが引きつけられたというか...で鉛筆でこの寺を描いたら先生に「素晴らしい世界観だ!」と褒められたのは楽しかった中二の頃のいい思い出。