常陸風土記の古社、夜刀神社へ。
夜刀神社の特徴
夜刀神社は神話の時代に創建された歴史ある神社です。
愛宕神社と合祀されており、独特の雰囲気が漂います。
常陸風土記に登場する一番古い神社として知られています。
近くに居ながら知らなかった。連休で出かける予定もなくふと…地元の御朱印をと思い出かけました。夜刀神(やとのかみ)は「常陸国風土記」行方郡の条に登場しますが、「見る人あらば、家門を破滅し、子孫継がず」とされる祟り神です。体は蛇で、頭に角が生えているようです。6世紀初頭に開墾しようとする人間と、それを妨害する夜刀神が戦った結果、人間が神を追い払うことに成功。今後祟られることのないよう、社が建てられたといわれています。勉強になりました。イライラもだいぶなくなりのんびりと過ごす事を考えました。
名前に惹かれて訪れましたが、行くまでの道が人里離れた秘境みたいな感じの所を通るので心配になりました。その割に駐車場は何だかすごくちゃんと整備されていました。
昼間も薄暗い森の中です。九月に行きましたが薮蚊が多く夏場に参拝されるかたは防虫対策が必要です。
夜刀神社やとじんじゃ茨城県行方市玉造3451番地1箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)が夜刀神を祀った神社は現在愛宕神社と合祀されており夜刀神社はその奥の方にあります「やと」は関東方言で谷間を「やつ」「やと」「やち」等と表現しますがそれから社名が採用されたと思われます実際、当社の前には「椎井(しひゐ)の池」があり現在でも滾々と湧水が湧いております夜刀はいわゆる国津神で谷間に住む角のある蛇でヤマタノオロチのように大きくはないが多数であったらしいですそれが天皇家の軍隊に制圧され地元の人達が愛宕神社の祭神だけでなく夜刀神を今も祭祀しているのは感慨深い思われます夜刀神の石碑(別添画像)は近来に建てられたと言う2020/9/8 参詣。
神社の創建は神話の時代に遡るほど古いが、平成に入ってから再建した旨のことが碑文にかかれていた。愛宕神社の横に小祠という形で残っていたのだろうか。もともと愛宕神社自体、別の場所にあったようだが。奥には民家(ひとはすんでなさそうだが)があり、神社の境内ではない。
梅雨の合間を縫って7月の下旬に椎井池から石段を登って訪れました。樹々に覆われていて薄暗い中、濡れ落ち葉などがあってとても滑りやすく、一歩一歩十分注意して登りました。場所は愛宕神社のお社の隣で、夜刀神社の鳥居とお社がありました。足元も一部はぬかるんでおり、たどり着くのに注意が必要でした。愛宕神社のお社に比べると新しい感じです。蛇嫌いの私は、どうにも不気味さを感じて、お参りもせず早々に山を下りました。(夜刀神とは椎井池では蛇の事だそうです)
常陸國風土記 行方郡条 夜刀神所管している小美玉市小川の素鷲神社にて御朱印が頂けます。
知り合いの方から、ここが常陸風土記に出てくる一番古い神社と言われ、訪れました。古よりコンコンと湧き出る清水。この土地を今も潤していることに感謝✨
知り合いの方から、ここが常陸風土記に出てくる一番古い神社と言われ、訪れました。古よりコンコンと湧き出る清水。この土地を今も潤していることに感謝✨
名前 |
夜刀神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

かなり歴史のある神社と聞き参拝しに!辺りは静かでゆっくりじっくり神社を拝見できました。