天兒屋根命が鎮座する、赤穂の神社。
赤穂神社の特徴
奈良市高畑町の赤穂神社は歴史的な神社です。
境内入り口には鍵がありますが、自由にお詣り可能です。
御祭神には天児屋根命や弁財天が祀られています。
聖武天皇が眼病を患った際、「新薬師寺」に祈念したところ、夢で赤穂の神に祈り、社の西南にある清水で眼を洗うべしとの神託があったという伝承が。あやかりたいのだが、すぐ近くの清水があるとされる「閼伽井庵」という寺は、いつも門戸を固く閉ざしている。聞けば地蔵盆の2時間だけ公開されるとのこと。来年は願掛けチャレンジしたい。
御祭神 天児屋根命(あまのこやね)式内社境内社 天満宮、弁才天藤原氏の氏神で、平城遷都の際に飛鳥からこの地に遷された。もとは数百坪程の社地があったといわれるが、明治維新を機に荒廃し、200戸近い家々・禰宜の大半が離散し築地塀のみが残った。これを嘆いた地元の有志によって復興が進められ、天満宮と弁財天社を合祀して赤穂神社の左に祀られた。1930年(昭和5年)、この近所にある新薬師寺のそばの鏡神社の別社となり現在に至っている。氷上娘はこちらには祀られていないようです。
「山の辺の道/万葉の道」巻十二の一の五 奈良市高畑町赤穂神社(あこうじんじゃ)この神社が鎮座おはすこの地は現在は「高畑町」と呼ばれていますが、その昔は『破石(わりいし)』町となっていたらしいです。その「破石」は個人宅の庭にあるということで現在は公開されていませんが、奈良朝では藤原氏、吉備氏、そして阿部氏の三領地の境を示す礎石であったという説もあります。こちらの社は500mほど南東方向に離れた『鏡神社』の別社で、宮司様が両社を兼任されているようです。また、山の辺の道にはこれから先こちらのような「セルフの扉」が数か所現れます。地元の建造物保護や野生動物から農作生産を妨げることのないようご配慮お願いします。このまままっすぐ東へ歩みを進めると、新薬師寺に向かうための新旧それぞれの石道標があります。左手に見える地蔵堂も拝見しながら、ここを右(南)に曲がります。
高畑の高級住宅街ってすごいなと思っていると、春日大社の社家が多かったらしい。なるほど。赤穂神社は20坪位の敷地で拍子抜けなんだけど、式内の古社。元は天児屋根命1柱を祀るというが、なぜこんなに小さい?
境内の入口には鍵がかかっていますが、「ご自由にお詣りください」と書かれていますので鍵を外してお詣りさせていただきました。境内を出たあとは鍵を閉めるのをお忘れなく。
式内社 赤穂神社主祭神 天児屋根命 天満天神鎮座地 奈良県奈良市高畑町1320『日本書紀』に天武天皇紀七年四月十四日、十市皇女を十一年一月二十七日、氷上婦人を赤穂に葬ったとあり、この「赤穂」は当地のこととされていますが、こちらの祭神とは考えられていません。天児屋根命といえば藤原氏・中臣氏の祖神でありますが、春日大社の近隣とはいえこの寂れよう。藤原氏と中臣氏はやはり 。この辺りは春日大社の社家が集まっていたようです。
住宅街に、ポツンとあります。フェンスで囲われていますが、「ご自由にお入り下さい。」とありますので、参拝だけさせて頂きました。無人です。
式内社。天児屋根命を祀る。
(17/09/20)主祭神天兒屋根命天満天神弁才天式内社です。
| 名前 |
赤穂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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赤穂神社(あかぼじんじゃ)。奈良県奈良市高畑町。式内社(小)、旧村社。【祭神】天児屋根命 (合祀)天満宮 弁才天資料によると、天武天皇6年(678年)4月14日に十市皇女を、天武天皇10年(682年)に氷上娘を「赤穂」の地に葬ったと日本書紀に書かれており、その赤穂としてこの地が有力とされている。飛鳥時代よりの藤原氏の氏神であり、平城遷都に伴いこの地に遷座したと伝わる。熟稲を神籬に懸け、「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより、赤穂の社と呼ばれるようになったという。かつては社地が広大で近隣には大鳥居があり、桜の名所として知られ「桜田」との地名もあったと伝えられていますが、明治以降は周囲の春日大社の社家町と共に著しく荒廃したと言われています。200戸近い家々・禰宜の大半が離散し築地塀のみが虚しく残ったといい、堀辰雄らが哀惜の詩文を残したとされる。これを嘆いた地元の有志によって復興が進められ、天満宮と弁才天社を合祀して赤穂神社の左に配し、二社並存という形とした。赤穗社の本殿の近くに「ヒメ墓」という地名があるという伝承があり、当社には古来、特に高貴な女性の信仰があつたことは注目してよい。1930年(昭和5年)、この近所にある新薬師寺のそばの鏡神社(当地の産土神である)の別社となり現在に至る。とあります。