四谷お岩稲荷で運気アップ。
於岩稲荷田宮神社の特徴
四谷怪談のモデルとなったお岩さんを祀る神社です。
江戸時代初期から続く田宮家ゆかりの神社です。
参拝記念にいただける手作りのお守りが魅力的です。
江戸時代の初期、田宮家の庭にあった屋敷社(やしきがみ)を、その家の主、田宮伊右衛門の妻、お岩が厚く信仰した。田宮家は貧しかったが、信仰のおかげで生活が豊かになり、評判を聞いた近所の人まで「お岩稲荷」と呼んで江戸の人気を集める様になった。お岩の死後はその霊も合祀された。江戸時代の後期、この人気にあやかるべく、「お岩」という名前を拝借して作った怨霊劇が、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」である。(由緒より)実際のお岩さんは、日頃から熱心に屋敷社を信仰していたくらいですから、心清らかな女性だったのだろうと想像します。また、人も羨むほどの仲のいい夫婦だったと書いてありました。怪談話を連想しがちですが、実際はこぢんまりしているものの、爽やかで素敵な神社でした。
四谷怪談で知られるお岩さん縁のお稲荷さん。実際のお岩さんは良妻の鏡のような人で夫婦仲も円満だったそうです。御札が無料で頂けます。
🏣東京都新宿区左門町17-11🚇️🚃…四ツ谷三丁目駅より徒歩5分程、信濃町駅より徒歩9分程。🚏🚌…※創建は不明元々は、田宮家に祀られていた稲荷神の祀が起源だそうです。「東海道四ツ谷会談」で広く知られるようになり、信仰が盛んに成った。※通称「お岩稲荷」お岩さんは、江戸初期、四ツ谷左門町の御家人田宮又左衛門の娘で、養子の伊右衛門と一生を送った実在の女性。寛永13年、36才で死去。鮫が橋の妙行寺に葬られたが後に西巣鴨に移された。道路を挟むお向かいの陽運寺のお岩稲荷も同じ屋敷内に有ったそうです。※東海道四ツ谷会談江戸末期、4世鶴屋南北作1825年江戸市村座で初演され大当たりした、歌舞伎。今でも四ツ谷会談を演じる前には、たたりや怪我の無いように「お岩稲荷」でお祓いを受ける習わしが続いているそうです。※本来のお岩さんお岩さんは没落していた田宮家をよく働き支え、再興させた良妻賢母だったそうです。
2023年(令和5年)11月29日(水)にパワースポットとの事で訪問。開運を祈願致しました。田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。住宅街の中に有り、静かに佇んでおります。綺麗に清掃されており、東海道四谷怪談のお岩さんを大事に祀っています。
オリジナルは明治の火災を期に中央区に移転したが、戦後に再興を遂げている。地元の要望により従前地に施設の一部を残したり、再建(再興)した例は他にもあるが、ここは他にも理由がありそうだ。おみくじが50円と格安。また、手書きの言葉守りは温かみを感じるものであった。大きさが不揃いなのも味である。
こちらにご縁を感じて参拝するようになってから、恋愛運が上がったと感じています!スピード感がある変化や気づきをいただけています。陽運寺さんは良い意味でPRが上手なので、そっと静かに寄り添い方の田宮神社さんへ行かれる時はお賽銭を奮発したいなぁと思ったりしています。恋愛で選択をいろいろ迷うことが多い日々でしたが、お岩さんに恋愛ごとの縁結びはお任せをして、新しい出逢いや人と交流が生まれて、仕事にも集中が出来るようになりました。もっと参拝も、認知も増えてお岩さんの誤解も減ったら嬉しいなと思います。
意外にコンパクトな神社でしたが、参拝者に心配りがある神社と思いました。御参りしてよかったです。斜め前が陽運寺(於岩さんが祀られてます)なので一緒に参拝してはいかがでしょうか。
田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同、田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。鶴谷南北の戯曲 「東海道四谷怪談」が文政八年に初演されると更に多くの信仰を集めるようになります。戯曲は実在の人物からは200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり円満でした。稲荷社は明治12年に火事で消失し、その際初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。しかし、その後も田宮家の住居として管理されており、昭和6年に東京都指定史跡に指定されました。戦後に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。
四谷 於岩稲荷田宮神社 (お岩稲荷)(よつや おいわいなりたみやじんじゃ)・御祭神豊受比売大神、別名:豊受大神(とようけびめのみこと)田宮於岩命(たみやおいわのみこと)・東京の「お寺神社」謎とき散歩 岸乃 様 著より「この神社の「於岩」というのは「お岩」という江戸時代の初期、江戸の四谷左門町で健気(けなげ)な一生を送った女性のことである。その女性の美徳を祀っているのが、この神社であ る。・神社の歴史 1636年(寛永13年)2月22日 田宮岩 様は36歳で亡くなりました。お岩様が信仰していた屋敷社が「お岩稲荷」と呼ばれるようになり崇敬者が多数あった。1717年(享保2年) 「お岩稲荷」勧請(かんじょう)「於岩稲荷社」となる。1825年(文政8年) 祭神「お岩さま」が主人公の東海道四谷怪談(四世鶴屋南北作)が上演される。1827年(文政10年)「文政町方書上」に「於岩稲荷社来由」が付される。1879年(明治12年)四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを機会に現在の中央区新川に移転 (市川左団次からの要望もあり)四谷の稲荷神社と全く同体の神社である。遷座(移転)後に左門町の人々が代わりにお岩さんを祀った小祠を建てたそうです。(田宮神社では、この祠の勧請、御分霊ではないとのことです) この祠があった場所に戦後、於岩稲荷陽運寺様の寺院が建てられたそうです。1931年(昭和6年)四谷左門町の「於岩稲荷田宮神社跡」が東京都史跡として指定される。1945年(昭和20年)新川の社殿は空襲で焼失する。戦後、1952年(昭和27年)四谷の旧地と新川の稲荷神社ともども復活して現在二つの稲荷神社があります。陽運寺様では縁切り縁結びの御利益がありますが、稲荷神社様では、縁切りのパワースポットとして誤解されているそうです。稲荷神社様は現在、田宮家(第11台)当主が宮司を務められています。拝殿前には、宮司様の手書きの「言葉守」があり、そのときの気分にあった一枚を持ち帰ることができる。御朱印は、初穂料300円です。御朱印の文字「有事人生」とは色々なことが起こるのが人生との意味。お岩さんのお墓は妙行寺(現在 豊島区西巣鴨4ー8ー28)
名前 |
於岩稲荷田宮神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3552-1068 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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2023年5月29日、午前訪問丸ノ内線、四谷三丁目駅の南にある神社番町皿屋敷のお岩さんと縁があるそうで、境内の手水には井戸水が出ておるそう境内には半夏生が生えており、社殿には神社の縁起などが書かれた紙が置かれてたさあ。