賢人七人を祀る歴史の場。
七賢堂の特徴
七賢堂には、明治維新の賢人が祀られており、歴史的価値があります。
大磯滄浪閣から移設された貴重な建物が残されています。
扁額の文字は佐藤栄作元首相が揮毫した特別なものです。
♪︎明治36年 大磯「滄浪閣」に創建、昭和35年に此処に移設。
昭和の時代に日本国に貢献してくれた賢人が祀られています。
吉田邸が火事で消失した為当時を知る貴重な建物です。
その昔は賢人を3人祀っていたので三賢堂だったそうです。祀っている賢人が7人まで増えたので、七賢堂。そのうち賢人の合祀追加で名前が変わるかも(笑)
大磯城山公園の旧吉田邸公園の敷地内にある。駐車場もあるが有料である。敷地内にはトイレや飲料の自動販売機などはある。喫煙場所もあるが、吸い殻は持ち帰りとなっている。隣接する国道を挟んだ公園と一緒に回るのが良いかと思う。ゆったり回れば半日は過ごせる広さである。特に名所的なスポットはないが、穏やかな日に回れば穏やかなひとときを過ごせるような感じがする場所である。あちこちに説明書きの看板もたっており、それを読みながら回ると理解も深める事ができる。
七賢堂は1903(明治36)年に伊藤博文が自身の邸宅「滄浪閣」に建てたものを昭和35年に吉田茂が現在の場所へ移設したらしく後に震災や火災の被害を免れ当時の姿を今にとどめているみたいで扁額の文字は、佐藤栄作元首相が揮毫したものらしいです。
最初は、千円札の肖像にも採用された伊藤博文が、明治維新の元勲のうち、よく慕っていた岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允の4人を自宅の大磯「滄浪閣」に四賢堂として建てたものです。伊藤博文の死後、梅子夫人により伊藤博文を加えた5人が祀られ、「五賢堂」となりました。その後、吉田茂邸に移設され、吉田茂が西園寺公望を合祀し、吉田茂の死後、吉田茂が合祀され、「七賢堂」となったようです。
名前 |
七賢堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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こちらのお堂には、岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望・吉田茂の7人が祀られています。現代の政治家でこちらに祀られるような偉人は現れるのでしょうか⁉️