万葉の歌人が見守る高岡。
大伴家持像の特徴
高岡駅の左手に位置する歴史的な銅像です。
万葉集の編纂に関わった偉大な歌人を象徴しています。
高岡の名物キャラクター家持くんが魅力を引き立てます。
高岡駅北口すぐにある大伴家持(おおとものやかもち)像は、奈良時代の歌人・大伴家持を中心に、万葉の世界を表現したモニュメントです。越中国守としてこの地に赴任した家持は、多くの歌を残し、高岡は万葉文化と深く結びついた場所となっています。この像のモチーフとなっているのが、万葉集の一首。もののふの八十娘子(やそをとめ)らが汲みまがふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花意味は、「多くの娘たちが水を汲んでにぎわう寺の井戸のほとりに、カタクリの花が咲いている」という情景。日常の何気ない風景と、可憐な花の美しさを重ねた、非常に絵画的な歌です。実際の像も、水を汲む乙女たちと花の情景を再現しており、歌の世界をそのまま立体化したような造りになっています。駅前という立地ながら、歴史と文学を感じられる落ち着いた空間です。万葉の世界に触れる入口として、観光の最初に立ち寄るのにちょうど良いスポットです。
大伴家持像。(大伴宿禰家持おほとものすくねやかもち)(202603)※富山県高岡市横田町出身の米治一(こめじいち)作。物部乃八十𡢳嬬等之挹乱寺井之於乃堅香子之花(もののふのやそをとめらがくみまがふてらゐのうへのかたかごのはな)現代語訳:物部の多くの少女たちが入り乱れて水を汲む、その寺井のほとりの堅香子の花よ。🅿️高岡市営高岡駅前駐車場。🚻高岡駅。※客観的に普通の物が『最高』の評価にはなりませんので悪しからず。
駅前にいらっしゃる大伴家持は、今の高岡を見てどのような和歌を残すのでしょうか?
高岡駅を背にして立った時、左手側にある銅像。すぐそばには路面電車の万葉線が通る。サイクルラックはないが左側に無料駐輪場あり。越中国守として高岡に赴任し、約5年の滞在中に223首の歌を詠んだ。万葉集の編纂者として有名。駅前の銅像はかたかごの花について詠まれており、少女らの傍らにかたかごの花が咲いている。かたかごの花は高岡の市の花でもあり、駅構内には至るところにかたかごの花をモチーフとしたデザインがある(写真3枚目)。(2023年5月6日現在)
子どもの頃に歴史の授業で聞き覚えのある名前、大伴家持。高岡駅の駅前に立派な銅像が建てられています。万葉集の編集に携わった歌人としてしか認識していませんでしたが、中納言にまで昇り詰めた高級官僚だったのですね。孝謙、淳仁、称徳天皇の御代、なかなか濃ゆい時代を官僚として朝廷に仕えながら、様々な政争に巻き込まれ、不遇な人事に見舞われながらも力強く時代を生き抜いた人物だということをこの銅像に接する機会を経て知ることができました。天平の時代、越中守に任じられて京の都からはるかに離れたこの越の地で、後世に残る233首の和歌を詠んだということは、深い文化的空気を今に残す富山の地で、心の安らぎを家持も感じ取っていたのかもしれません。
高岡のすごい人。
物部(もののふ)の 八十(やそ)少女(おとめ)らが 汲(く)みまがふ 寺井(てらい)の上の 堅香子(かたかご)の花 (万葉集 巻十九 4143)
中ナヤジャ(原文)中納言家持。
歌を棄てた歌仙万葉集の編纂に携わり、全4516首の大トリを務めた大歌人にして高岡市のゆるキャラでもある家持くん。746年、29歳で越中守に赴任し高岡で暮らした5年の間に223首の和歌を残す。大伴氏は元来武門の家柄にして家持の時代は常に非主流派だったため、都に戻っては事件や粛清に巻き込まれ地方への左遷を繰り返すという、歌人のイメージとは程遠い波乱の人生を送る。赴任した国は越中、摂津、因幡、薩摩、大宰府、陸奥。これらと都の官職を行ったり来たりというたらい回し感…これがとんでもない不幸なのか、様々な場所で歌境を深め天寿を全うできた幸運だったのかはよく分からないが…新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事まるで子供のような晴れがましさで吉事が沢山ありますようにとは、決してそうはならないであろう身の上への皮肉、あるいは安穏とした自分への決別か。この万葉集最後の歌を因幡で詠んでのち亡くなるまでの26年間、家持が詠んだとされる歌は1首も伝わっていない。
| 名前 |
大伴家持像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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銅像なのだが、とても立派な歌碑とも言えるか。郷土の偉人の顕彰というより、その地の統治の為に赴任した高級官僚が歌人として名高く、歌われた花を高岡市の花にしているので、その歌を記し、像を建立したという感じか。