砂に埋もれた歴史を感じる。
内灘米軍試射場 射撃指揮所跡の特徴
昭和20年代に造られた、歴史を感じる廃墟感のある建物です。
かつて米軍の砲弾試射場として使われた貴重な遺跡です。
砂浜の端に佇む、ひっそりとした風情が魅力のスポットです。
内灘闘争なる出来事が…嫁の実家である石川県であり昔の出来事に興味があり帰省する度に行けたらと思うも小さい子がいると子供中心へとなり行けませんがいつか帰省したら訪ね内灘闘争に対し知りたいと思います。
昔からあり、砂にうもれひっそりとたたずむ建物です。最近までこの建物が何のためにあるのかわかりませんでした。歴史に学ぶ事があると思います。
昭和20年代に造られ使用された射爆場の施設。言われなければそのような曰く付きの施設には見えません。扉が閉まっており、内部に入ることもできません。もうすぐ内灘の砂に埋もれそうです…(^_^;)
戦後昭和を伝える大切な遺跡。内灘夫人と併せて残したい。
行ったこともないのだが、Googleさんからいきなり、「着弾地観測所跡(西荒屋)」はいかがでしたか?との質問?色々、辿っていたら、此処(射撃指揮所)を発見! いつも、里山街道走っているけど認識なかったわ。道理で窓の部分が細長い変な形の訳だ。で、子供の頃の想い出がひょんなことから結びついた!!のと里山街道開通に伴い、今は無き内灘海水浴場にあった弾薬庫跡!!(現在の公衆トイレの横辺りに3棟ぐらいあった)そもそも、子供の頃は、先の大戦時代の防空壕跡ぐらいに思っていたのだが…背景)1952年朝鮮戦争のため、アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。これに対して村議会は反対決議を行い、北陸鉄道労組は浅野川線で行われる資材搬入に対してストライキを行うなどの支援を実施し、内灘闘争(うちなだとうそう)と言うアメリカ軍の試射場に対する反対運動に発展した。闘争は1957年のアメリカ軍撤収で終息した。wikipedia/内灘闘争引用:
砂と海の波をお楽しみください。サーフィンやスピードボートに最適な夏の場所。(原文)Enjoy the sand and the wave of the sea. Best place of summer to surf and speedboating.
のと里山海道からも見える。一見海水浴場の施設に見えるが、戦後米軍の試射場として作られたもの。放っておけば砂に埋もれるものをなんとか維持している印象。
かつて米軍の砲弾試射の場として使われていた歴史があるそうです。鉄板道路と併せて。
名前 |
内灘米軍試射場 射撃指揮所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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だだっ広い砂浜の端の方にポツンと立つコンクリートの建造物説明が書かれた看板で往時を知ることができます砂に埋もれていく廃墟感がなかなか良かったです。